大前研一メソッド 2025年2月25日

ホンダと日産の経営統合話は破断で結果オーライ

honda nissan integration
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

本田技研工業(以下ホンダ)と日産自動車は2025年2月、2社の経営統合に関する協議・検討を終了すると発表しました。2024年12月、両社の経営統合を報じたメディアは「世界3位の自動車グループが誕生」と騒ぎました。

しかしながら、両社の経営統合話は破断で結果オーライなのだとBBT大学大学院学長・大前研一氏は指摘します。なぜ破断で結果オーライなのか、大前学長に聞きました。

社風が真逆のホンダと日産

今回の経営統合話の背景にあるのは日産の経営不振である。日産は1990年代に経営不振に陥り、ルノーの傘下に入った。ルノーから送り込まれたカルロス・ゴーン社長(当時)の改革で復活したが、コストカットで将来に向けての投資ができず、2019年度には再び巨額赤字に転落している。

そこに救いの手を差し伸べたのがホンダだった。2024年12月、両社は2026年夏の共同持ち株会社立ち上げに向けて協議を進めることを発表した。会見には三菱自動車の経営トップも同席して、合流も視野に入れていることを明かした。

2024年の販売台数は、ホンダが373.3万台で世界7位、日産が314.4万台で同8位、三菱自動車が94.4万台で同18位だった。3社を合計すると、782.1万台となり、1位のトヨタグループ、2位のフォルクスワーゲン(以下VW)グループに次ぐ世界3位になる。

ただ、記者会見を見ると、経営統合は日産を潰したくない経済産業省主導で進められ、ホンダはしぶしぶ応じたというのが実情だろう。経営統合が行われたとしても、統合後の経営がうまくいったとは思えない。主な理由は2つある。

まず一つは、両社の社風の差である。日産は鮎川財閥にルーツを持ち、戦前に国策で成長してきた。その影響もあってか経営手法は保守的である。かつ、川又克二社長・会長の時代には労働組合と非常に近くなり、経営が自動車労連に振り回された。ゴーン氏の登場で大きな変革はあったが、組織に染みついた文化はそう簡単に変わらない。

一方、ホンダは業界の異端児だった。1970年代、マスキー法を導入した米国で排ガス規制が強化された日本車が締め出されかけたとき、日本での法規制に反対するトヨタや日産を尻目に、ホンダの創業者本田宗一郎氏は国会に自ら出席して、規制をクリアするCVCCエンジンを発表した。ホンダはもともと二輪のメーカーだったが、新エンジンの開発で一気に四輪市場でも存在感を増していった。その勢いで米国でも快進撃を続け、日本企業の海外展開では「ソニーやホンダのように」という表現が褒め言葉として使われた。日産が自動車業界の古代生物なら、ホンダは風雲児である。水と油でうまくいくはずがない。

もっとも、ホンダは尖りすぎていて他のどこともうまくいかなかった。1990年代前半に英国のローバーと資本提携して技術供与したがうまくいかず、BMWに経営権を奪われた。1999年にゼネラルモーターズ(以下GM)と提携したが、関係は数年で終了した。近年は自動運転で再びGMと提携したが、共同開発計画は白紙になった。ホンダは独立精神が強くて提携下手、相手が日産でなくても、統合後は相当な軋轢が生じる可能性が高い。

経営統合が失敗するもう一つの理由は、両社の得意領域にある、ホンダと日産はスポーツカーに熱狂的なファンがいるが、売上の中心は他の一般的な車種であり、カバーしている範囲は似ているし、地域を見ても、両社とも北米が主戦場である。得意な車種や地域に違いがあれば統合はシンプルに足し算になりうるが、重複しているとメリットは少ない。

企業文化が似ていて車種や地域で補完関係があれば理想だが、ホンダと日産は逆パターンである、うまくいく要素は少ない。唯一問題なく生き残るのは世界トップのホンダの二輪だろう。途上国では今後もバイク時代が続くので、しばらくは合従連衡の外側にあって、利益を上げ続けるだろう。

世界2位VWグループや同3位GMが苦戦

「経営統合して規模が大きくなれば、経営が安定して潰れにくくなる」という見方もある。しかし、規模の大きさが有利に働いたのは過去の話である。実際、世界の自動車メーカーを見ると、トヨタを除き、大手はどこも苦戦している。

現状で世界2位のVWグループ、3位のGMが苦戦している主な原因は共通している。一つは賃金の増加である。どちらも労組が強く、賃上げや雇用保険を求めるストライキに苦労している。これではコスト競争力で他のメーカーと戦えない。

もう一つの共通点は中国市場に注力していたことである。成長市場だった中国は、コロナ禍以降、景気が減速している。母国での労働者の賃上げによるコスト増は、中国市場の成長により吸収できていたが、もはやその恩恵はない。VWグループは会社史上初となるドイツ国内の工場閉鎖を一時検討していた。労組の反対で見送られたが、その代わりに賃金の減額が決まり、3万5000人の人員削減方針も示された。

世界4位のステランティスも急ブレーキである。同社はプジョーやシトロエン、ジープなど計14ブランドを抱える多国籍メーカーで、2021年に設立された。業績は好調だったが、2024年9月に大幅な現域見通しを発表した。2024年12月にはカルロス・タバレスCEO(最高経営責任者)が突然辞任した。ステランティスの失速の原因は、ブランドが多すぎることである。各ブランドの経営スタイルが異なるし、車種・地域とも多様過ぎて全体としてコントールすることが難しい。

このようにトヨタ以外の巨大メーカーが軒並み苦労している様子を見ると、規模の大きさが必ずしも武器になるわけではないことがよくわかる。むしろ、今元気がいいのは、規模は大きくなくても際立った特徴のあるメーカーである。例えばフェラーリは親会社のフィアットから独立したら、フィアット以上の時価総額(12兆円)になった。VW傘下のポルシェも独立すれば親会社の苦労をよそに大きな評価を得ることができるだろう。日本なら、インドで圧倒的な強さを誇るスズキも生き残る。

その点で残念なのが三菱自動車である。私はオーストラリアでパジェロに乗っている。ボンネットの高さまで水が溜まった湿地帯を何とか走り抜け、給油所に寄ると、故障した他社のオフローダーが山積みになっていた。パジェロはそんな悪路にも強く、世界中にファンがいた。しかし、オーストラリアの生産拠点は2008年に閉鎖、2019年には日本や英国での販売も中止し、エクリプス、クロスなどの新しいブランドを導入している。

振り返ると、三菱自動車は特徴的だったトラックバス部門を分社化してダイムラー・クライスラーに売却した。残っているのは私から見ると退屈な車ばかりである。パジェロはかつてパリ・ダカール・ラリーで活躍したクルマでロシアなどでは圧倒的な人気があったが、三菱自動車は強みのない普通の車を提供するメーカーになってしまった。組織の規模が大きくなっても、個性のないメーカーが集まるだけでは成長が望めない。その点でも経営統合は難しかった。

完全自動運転の時代に、規模の大きさはハンデ

近い将来、巨大な図体は逆にハンディキャップになる可能性も高い。完全自動車運転になると、個人は自動車を所有せず、必要な時だけスマホで呼んで利用するようになる。そうなれば、自動車はもっとも稼働しているピークの時間帯の台数だけあれば事足りる。現在、同時に稼働している自動車は1割で、9割は駐車場に停まったままである。すると、販売台数は9割減である。販売台数が減ると、従来の生産や販売の経営資源はお荷物となる。

ホンダと日産もそうである。ホンダはソニーとソニー・ホンダモビリティを立ち上げてEV自動運転車の開発に取り組んでいる。しかし、2024年12月に発表したのは、AFEELAの車内にカラオケサービスを導入したというものだった。移動中のエンターテインメントは枝葉末節に過ぎない。これでは本筋の自動運転技術開発がうまくいっていないと邪推してしまう。日産も似たようなもので、内燃機関については優れた技術を持つが、自動運転ではトップグループと技術的に開きがある。

自動運転シフトで注目したいのは、今回の経営統合劇におけるホンハイ(鴻海精密工業)の動きである。ホンハイはアップルのiPhoneの受託製造で世界的メーカーに成長した。パートナーシップを組むアップルが次に狙うのが自動運転車である。EV自動運転の鍵を握るのはOTA(無線通信でソフトを更新する技術)とSDV(ソフトウエアで機能等が制御される車)だが、アップルはスマホをEVに活用することを目論んでいる。ホンハイはそれに合わせて自動車産業への参入を模索していた。

日産が自動運転にシフトするなら、ホンハイと組む選択肢もある。ホンハイのEV事業担当CSO(最高戦略責任者)関潤氏は日産出身である。関氏は日本電産(現ニデック)を経由してホンハイに転身した。日産の1966年生まれの内田誠社長から見れば、ホンハイに買収されるとかつての(1960年生まれ)の先輩である関氏が再び自分の上に立つことになるから、ホンハイの買収提案は飲みにくいだろう。ホンハイとしても日産ほど大きいメーカーはコントロールしにくい。

すでに米国や中国では行動で自動運転レベル5の実験が始まっている。ホンダと日産は自動運転へのシフトを進めなければ生き残れない。規模の要らない時代に規模をわざわざ拡大してその後始末をする時間的余裕など両社になかったのである。

※この記事は、『プレジデント』誌 2025年2月14日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。