メキシコ駐在時にBBT大学院でMBAを取得し、「見たことのない景色が開けた」と話す伊藤さんは、在学時にどのような体験をされたのでしょうか。大学院で得たスキルや知見を実務に活用したエピソードや、大前学長選抜プレゼンにも選ばれた卒業研究についても詳しくうかがいました。
伊藤 弘之さん
2017年9月BBT大学院入学、2019年9月修了。入学時41歳、インタビュー時は44歳。商社の経営企画部所属(2020年11月現在)。
――BBT大学院に入学した経緯を教えてください。
41歳のとき、あるプロジェクトで大きな目標を達成した後、次の目標が見つからず、「自分が本当にやりたいことはなんだろう?」と悩みました。そこで、「もっと色々な世界を知り、これからの時間を真剣に費やしたいことを見つけよう」と考え、BBT大学院への入学を決めました。
さらに遡ってお話すると、大学時代、どうしても行きたかった商社に業界を絞って就職活動をしました。しかし、志望先から内定をもらえなかったため、大学を自主留年して、もう1年就職活動をすることに決め、就活2年目にある商社への入社が決まりました。
それほど商社へのこだわりが強かったのは、「海外で事業を立ち上げ、事業を通じて地域に貢献したい」という想いがあったからです。
そうした想いを抱き始めたのは、中学生の頃です。私は中学1年生から3年生まで、香港に住んでいました。それまでずっと日本で暮らしていたため、人生で初めて飛行機に乗って、海外の空港に降り立った瞬間、さまざまな人種の人たちがいることが衝撃的でした。
自分の知らない場所でこんなに大勢の人たちが生きている――そのインパクトがとても強く、将来は日本国内に留まらず、世界という広い社会の中で仕事をしていきたいと思いました。
1987年の香港の街並み(伊藤さんご提供)
香港は、当時から貧富の差が激しい地域でした。バラック(急造の粗末な建物)に住んでいる現地の人たちなど、貧困の現実を目の当たりにして、「仕事を通して、もっと豊かな世界にできたら」と思うようになりました。
1987年当時の香港。高層ビル群と古いアパートが並ぶ(伊藤さんご提供)
日系百貨店そごう(写真右)と、その裏にある古いアパート。「屋上にあるのはバラックの家で、これよりも劣悪な環境がありました」(伊藤さん談)
しかし、新卒で入った商社ではトレーディングばかりの日々で、やりたいことと実際にやっていることのギャップが大きかったです。
入社して数年はがむしゃらに働きましたが、年齢を重ねていく中で、「もっと長期的な事業計画に基づいて仕事をする環境に身を置きたい」と思うようになり、5年目に転職しました。
転職先の商社では、「戦略を勉強したい」と入社し、4年ほど経つと転職していく先輩や同僚が多く、仕事の一体感や面白みを感じられませんでした。
そのとき、改めて学生時代を振り返って、「海外で事業を立ち上げたい」という初心を思い出しました。
そこで、機械工業系部品を扱う前職の経験が活き、かつ自分の夢を叶えられる会社として、現在の商社に転職を決めました。
5年ほど海外子会社の経営管理はじめ、中国・アジアでの会社設立や設備投資など、本社側での事業投資業務を経験したのち、6年目に念願が叶い、メキシコの農村地帯に自動車メーカー向けの素材加工の会社を立ち上げるプロジェクトに従事しました。会社設立から立ち上げまでの一連の業務を担当し、営業部、業務部、経理・財務、人事・総務、システムを管掌する経営管理部を統括する立場でした。
これが、最初にお話ししたプロジェクトのことです。
メキシコの街。ユネスコ世界遺産に登録されたグアナファト(伊藤さんご提供)
メキシコではずっとやりたかった海外事業の立ち上げを経験できましたが、工場を立ち上げてからの最初の1、2年は、「二度と立ち上げに関わるものか」と思ったほど大変で、精神的にも肉体的にもきつかったです。しかし、なんとか新会社を立ち上げ、単年度黒字まで持っていくことができました。
農村地帯の田舎町に自動車メーカーが進出すると、雇用が生まれて、道路ができて、道路の横にレストランが開店して、周りにマンションが建って…。一気に工業団地化する過程を現地の人々とともに体感しました。
自分たちが雇用した社員から「初めて車を買った」「ボーナスで初めておばあちゃんを旅行に連れていった」といった嬉しい話を聞くと、「やって良かった」と心から思えました。
工場建屋が建設される過程と完成後(伊藤さんご提供)
学生時代から、「海外で事業会社を立ち上げたい」という目標に向かって、ひた走ってきました。
上司や先輩、関係者の方々のサポートもあり、さまざまな経験を積んで、長年の目標を達成できたとき、次の目標を探し始めるようになりました。
ちょうど、人生も社会人としても、折り返し地点にいる40歳を過ぎたタイミングでしたので、「残りの人生を何に注ぎ込んでいきたいのか?何を成し遂げたいのか?」と、キャリアゴールを考え始めたんですね。
そして、「社会における自らの存在意義、役割にこだわりたい」「社会に対して意義のある、インパクトのある製品やサービスを生み出したい」と考え、その目標を具体化するためにも、BBT大学院でより広く世界を知り、ビジネスや経営を学び直すことに決めました。
――メキシコ駐在中に100%オンラインで学ばれていましたが、続けられるかどうか不安はありませんでしたか?
実は、私はいわゆる“学習教材持ち”で、何かに手をつけてはやめてを繰り返し、長続きしない質(たち)でした。なので、BBT大学院も説明会などで手厚いサポートがあると知ったものの、入学前はきちんと修了できるか不安でした。
しかし入学後は、事務局や教務課の方々に、常にサポートしていただいている感覚があり、「何かあったらいつでもご相談ください」と言っていただいていたので、安心して学習に集中できました。
TA(ティーチング・アシスタント)の方が、講義やディスカッションでの発言を細かく見てくださったり、卒業研究などで指導教授が親身にサポートしてくださったりと、学習面においてもオンラインでも問題ありませんでした。
BBT大学院の皆さんのことを信頼して、勉学に励めたことはとても大きかったです。「やるなら今だ」と思い切って入学して、本当に良かったなと思っています。
ただ今思うと、教授との関わりについては、もっと積極的に質問などをすればよかったかもしれません。「こんな質問していいのかな」と引け目を感じてしまい、卒業研究以外の科目で教授宛に質問をすることはありませんでした。
これから入学される方には、「教授にも遠慮せずに質問してみては」とお伝えしたいです。
BBTの勉強で週末長時間利用していたメキシコのスターバックスで店員と(伊藤さんご提供)
――最近ではインターネットの学習コンテンツも充実し、さまざまな情報や学習の機会が得られますが、BBT大学院ならでは良さは何でしたか?
確かにインターネットには膨大な情報がありますが、信用できる情報かどうか自己判断するのが難しいと思います。
でも、BBT大学院なら実務経験が豊富で実績のある先生方が教えてくださるので、信頼できますし、実践の場で応用できることが学べます。
講義の内容は為になることばかりで、一字一句メモを取りたいくらいでした。…といっても、時間がないので、基本的に2倍速で視聴していましたが(笑)。2倍速で再生して、重要な部分や十分理解できなかった部分は巻き戻して視聴することもよくありました。
仕事が忙しく、メキシコで妻と娘と暮らしていたため、常に時間には追われていましたが、どの授業も本当に面白く、知的好奇心を駆り立てられる日々でした。
入学前は、MBAホルダーといえば「ロジックでバサバサ切っていく」という勝手なイメージを持っていました。
でも実際にBBT大学院でMBAを取得して、もちろん論理的思考についても学びますし、大切な視点ですが、それ以上に発想力や構想力が鍛えられました。現状や課題を分析し、そこから飛躍する力、新しいことを生み出す力が身につき、期待以上のステージに上がることができたと実感しています。
BBT大学院での学びを通して、新しいことを生み出す力の重要性をはじめ、新しい世界をたくさん知り、見たことのない景色が開けました。
――経営に必要なヒト・モノ・カネを学ぶ科目のほか、「リーダーシップ論」や「プレゼンテーション技法」などさまざまですが、特に印象に残っている科目は?
1年次に取った「起業家精神研究」ですね。
40名もの起業家の講演が聞けましたが、特にソフトバンクグループ株式会社取締役会長の孫正義さんの講演には惹きつけられました。
孫さんの講演で、「やりたいことを見つけるのがとても難しい。でも、心底純粋に自分に問うて、やりたいことが見つかれば、物凄いエネルギーが自分に宿る。命を捨てても良いと決意ができているなら、事業資金、そんなものは集まって当たり前。天から降ってくる。集まらなかったら、まだそこまでみなさんのレベルがそこに達していないだけ」と、起業とは本能への探求なのか?と考えさせられる趣旨のお話があり、「自分が真にやりたいこと、やり遂げたいことは何か?」と心をぐらぐら揺さぶられるような感覚がありました。
経営戦略や事業立案などを学んでも、エネルギーがないとなかなか前へ進めないと思います。大前研一学長も言われていますが、「やりたいことを見つけるのが何よりも重要なんだ」と改めて感じました。
また「イノベーション」では、新しい企画やビジネスアイデア、プランを生み出す発想法が学べました。
受講前は、新しい物事を生み出せるのは才能で、自分にはその才能がないのだと漠然と思っていました。しかし、例えば違ったもの同士を組み合わせて新しいものをつくるなど、発想の方法を学ぶことで、自分にもできると自信がつきました。
講義では、「家電の新商品を考案する」といった課題が3,4日ごとに出ました。たくさんの課題に取り組むことで、自分の思考がどんどん活性化されましたし、発想法を用いてアイデアを出すことにも慣れ、現職でも発想法を活用するようになりました。
――具体的に、発想法などの学びをビジネス現場でどのように活用されていますか?
所属している商社は、伝統的な産業を対面としていることもあり、新しいビジネスモデルが生まれにくい傾向がある一方で、新たな収益モデルを作っていくことが命題になっています。
そこで、BBT大学院の在学中に、「自社の強みである素材加工の現場と新しいテクノロジーを組み合わせられないか」と考え、画像認識とAIの技術を活用した新サービスを構想しました。
プロジェクトは事業開発の専門部隊が担うことになりましたが、新しい仕組み化とデータの蓄積によって、素材加工に留まらず、社外のさまざまな製造現場にも横展開できると考えています。
このように、従来とは異なる新しい視点を仕事現場にも取り入れられるようになったと実感しています。
BBT大学院の良いところは、内容が実践的なので、学んだ翌日から実際の仕事で使えるところだと思います。いつも、学んだことを使いたくてしょうがない気持ちでした(笑)。学びが実務での結果につながるのが良いですね。
これまでの実務経験によって、経営学の基礎は入学前からある程度備わっていたと思います。しかし、経営学を改めて体系立てて学ぶことで、自分の中で整理ができました。先生方の講義によって、実務でどうすべきかわからなかったことへの解決策を編み出せたこともありました。
10年、20年と実務を経験してきた40代だからこそ、実体験と学問が結び付く面白さが原動力になり、「もっと学びたい!」という高いモチベーションを保てたのだと思います。
――卒業研究では、どんなことをテーマにしましたか? 問題発見(テーマ設定)から問題解決までの道のりについてもお聞かせください。
卒業研究では、「ドッグ・ブリーダーと飼い主を繋ぐプラットフォーム事業」をテーマに事業計画を立案しました。
在学中、今後注力したい仕事について模索するなかで、自分が好きだったことを振り返り、「今までの生活には必ず犬がいた」ということに気づいたんです。
幼少期に飼っていた柴犬のチロと(伊藤さんご提供)
幼少期には、5歳離れた弟が生まれたのを機に、当時飼っていたチロ(柴犬)を手放した苦い経験があります。両親は苦渋の決断だったと思いますが、里親に引き渡す際、逃げ出したチロの後ろ姿を鮮明に覚えています。
その後、高校に入学し、香港から日本に帰ってきたタイミングで、フレット(ゴールデンレトリバーの雄)を飼い始めました。数年後にはサラ(同犬種の雌)そして、エバ(キャバリアの雌)が家族に加わり、家で三頭飼っていました。母は犬好きが高じて盲導犬のボランティア活動に携わり、家ではリタイア犬や保護犬を迎え入れるなど、多くの犬と暮らす日々を過ごしてきました。
左からサラ、フレット、エバ(伊藤さんご提供)
そして、メキシコの駐在中に、エルフ(ジャックラッセルテリアの雄)を迎え、日本でも一緒に暮らしています。
ブリーダーから迎え入れ、もともと気質としても穏やかな性格のゴールデンレトリバーのフレットやサラと、ペットショップで出逢った臆病であるがゆえに吠えることが多く、気性が荒いように見えてしまうジャックラッセルテリアのエルフと、全く気質が異なることに興味を持つようになりました。
ジャックラッセルテリアのエルフ(伊藤さんご提供)
もちろん、犬種や個体差もあるとは思いますが、母犬のもとでたくさんの愛情を受けて育ち社会化がなされている犬と、おそらく早期に母犬から引き離されてしまった犬との違いもあるのではと、犬の流通に関心を持つようになりました。
そして、ネットやニュースから情報収集し、犬の殺処分の事実を知りました。こうした悲惨な現状をビジネスの力で解決できないかなと思い、卒業研究のテーマにしました。
事業構想にあたり、殺処分の問題の背景を調べると、『犬を殺すのは誰か ペット流通の闇 』(太田匡彦著、朝日新聞出版)から、日本国内の犬の流通の約7割がペットショップ経由であることがわかりました。
そこで、直接アポを取って、国内約20店舗のペットショップや保健所(動物愛護センター)の飼育員の方々からお話を聞き、フィールドワークを行いました。業界ニュースを読んで、岡山県に犬の生体販売を止めたペットショップがあることを知り、現地までお話を聞きに行ったことも。
子犬は通常1日18時間程度眠るのですが、ペットショップではずっと照明がついていて、お客さんが来たら起こされて抱っこされたりもするので、相当なストレス環境です。
さらに、生まれてすぐに母親から引き離れてしまい、犬社会のマナーがわからず、ほかの犬を怖がる子になってしまうこと、生まれた場所からペットショップまでのトラックでの移動も子犬の体に負荷がかかることなども、フィールドワークからわかりました。
また、犬の飼育経験がある人を対象にネットアンケートを実施し、犬を飼う前後のギャップや、犬との暮らしでの困りごとを聞いたところ、「しつけが大変」という声が多く挙がりました。
犬社会のマナーがわからず、ペットショップの閉鎖空間とは異なる人間社会にも慣れていない犬は、恐怖や驚きから、人間やほかの犬に吠えたり噛みついたりしてしまうことがあるそうです。中には、手に負えなくなった飼い主による飼育放棄や、保健所に連れ込み殺処分に至ることも…。
しかし、その原因は犬自身ではなく、生まれてから飼い主の元に行くまでの過程や環境にあると考えました。
さらに調べていくうちに、ブリーダーが無計画に犬を繁殖させた結果、飼い主が見つからずに劣悪な環境で生きたり、殺処分されたりしている問題も知りました。もちろん、動物福祉を真剣に考えておられるペットショップやブリーダーも数多く存在しますが。
そこで、本質的な問題を解決し、飼い主と犬が一緒に幸せに暮らせる仕組みをつくるためにドッグ・ブリーダーと飼い主を繋ぐプラットフォームの事業化を卒研の柱にしました。
学長選抜プレゼンの様子
卒業研究では、全く想定していなかった学長選抜プレゼン(※)に選抜いただきました。
プレゼンでは人生最大級の緊張を経験しましたが、事前準備と発表を通じて、ずっと苦手意識のあったプレゼンを克服でき、一皮も二皮もむけたと感じました。
そして、思い入れが強い新規事業に対して良い評価をいただけたことで、「自分の足で歩いていける」と自信が持てるようになりました。
※編集註:学長選抜プレゼンでは、大前学長の前で卒研のプレゼンを実施し、講評を直接受けることができます。若干名だけが選抜される狭き門で、教員による卒研プレゼン審査で優秀だと判断された卒研のみが学長選抜プレゼンに進めます。
――今後の仕事のビジョンについて教えてください。
本業の伝統的な素材業界は、年々厳しい状況に陥っています。そんな中、研究テーマとして取り組んだペット業界に惹かれたこともありました。
しかし、当然ながら業界も企業も、良いときもあれば悪いときもあります。「せっかくBBT大学院で学んだのだから、悪いところから復活させないといけない」という想いが、修了してからだんだん大きくなりました。
上場企業の子会社という立ち位置ですので、社内は株主目線が非常に強く、儲けの議論が多いんですよね。もちろん、株主へのリターンを考えることは必須ですが、企業がその存在を許されているのは、株主のみならず、ステークホルダーから価値を認めてもらっているからです。利益は提供する価値の対価ですから、後からついてくるものだと思うんですよね。
しかし、社内では利益目標、予実管理の話ばかり。年々利益が減っているということは、存在意義が薄れていっているということです。
ですので、改めて、「まだ解決できていない社会が抱える問題は何で、自分たちがこれまで培ってきた強みを活かしながら、どういうことに貢献できるのか?」という社会貢献のマインドをみんなが持って、ごく普通に日常業務の打ち合わせの中で、そういうことを熱く議論する風土をつくりたいと思っています。これからは、そういうことに時間を使いながら、ゆくゆくは上場を目指したいですね。
実は、メキシコに赴任する3ヶ月前、父が「手術を受ければ1年、受けなければ半年」と余命宣告を受けました。メキシコに行くか悩みましたが、父からの強い応援もあり、行くことに決めました。
父は、QOLが落ちることを心配して手術は受けない選択をしました。これが良い決断だったようで、あちこち旅行しながら余命を楽しみ、医師の想定を超えて余命宣告から2年半と、長生きすることができたんです。でも66歳でしたから、まだまだやり残したことがたくさんあったんじゃないかと思うんですね。
私は、新人のときに経験させていただいた飛び込み営業、そして、転職して戦略立案、今の会社で事業投資、海外事業の立ち上げと、ある意味、本当に広くさまざまなことを勉強させていただいたと思っています。
ですので、あとは「いかに社会へ貢献するか」なんですよね。父の想いも受けて、しっかりと生きないといけないなと思っています。
卒業研究のテーマにした「ドッグ・ブリーダーと飼い主を繋ぐプラットフォーム事業」は、今後個人で携わっていき、社会に貢献したいと考えています。
まだペット業界について精通していませんし、犬のブリーディングもトレーニングについても素人です。
プラットフォーム事業を実際に立ち上げるときには、ブリーダーさんやトレーナーさんとの人的なネットワークも重要になります。そこで、将来への準備やネットワークづくりのために、今年(2020年)の1月からドッグトレーナーの養成学校に通っています。
犬のトレーニング方法を学び、学校の卒業生や同期の方々のお話を伺いながら、また、業界内でのネットワークを広げていきながら、一歩ずつ事業化を進めていきたいと思います。
メキシコ駐在時にBBT大学院でMBAを取得し、「見たことのない景色が開けた」と話す伊藤さんは、在学時にどのような体験をされたのでしょうか。大学院で得たスキルや知見を実務に活用したエピソードや、大前学長選抜プレゼンにも選ばれた卒業研究についても詳しくうかがいました。
伊藤 弘之さん
2017年9月BBT大学院入学、2019年9月修了。入学時41歳、インタビュー時は44歳。商社の経営企画部所属(2020年11月現在)。
――BBT大学院に入学した経緯を教えてください。
41歳のとき、あるプロジェクトで大きな目標を達成した後、次の目標が見つからず、「自分が本当にやりたいことはなんだろう?」と悩みました。そこで、「もっと色々な世界を知り、これからの時間を真剣に費やしたいことを見つけよう」と考え、BBT大学院への入学を決めました。
さらに遡ってお話すると、大学時代、どうしても行きたかった商社に業界を絞って就職活動をしました。しかし、志望先から内定をもらえなかったため、大学を自主留年して、もう1年就職活動をすることに決め、就活2年目にある商社への入社が決まりました。
それほど商社へのこだわりが強かったのは、「海外で事業を立ち上げ、事業を通じて地域に貢献したい」という想いがあったからです。
そうした想いを抱き始めたのは、中学生の頃です。私は中学1年生から3年生まで、香港に住んでいました。それまでずっと日本で暮らしていたため、人生で初めて飛行機に乗って、海外の空港に降り立った瞬間、さまざまな人種の人たちがいることが衝撃的でした。
自分の知らない場所でこんなに大勢の人たちが生きている――そのインパクトがとても強く、将来は日本国内に留まらず、世界という広い社会の中で仕事をしていきたいと思いました。
1987年の香港の街並み(伊藤さんご提供)
香港は、当時から貧富の差が激しい地域でした。バラック(急造の粗末な建物)に住んでいる現地の人たちなど、貧困の現実を目の当たりにして、「仕事を通して、もっと豊かな世界にできたら」と思うようになりました。
1987年当時の香港。高層ビル群と古いアパートが並ぶ(伊藤さんご提供)
日系百貨店そごう(写真右)と、その裏にある古いアパート。「屋上にあるのはバラックの家で、これよりも劣悪な環境がありました」(伊藤さん談)
しかし、新卒で入った商社ではトレーディングばかりの日々で、やりたいことと実際にやっていることのギャップが大きかったです。
入社して数年はがむしゃらに働きましたが、年齢を重ねていく中で、「もっと長期的な事業計画に基づいて仕事をする環境に身を置きたい」と思うようになり、5年目に転職しました。
転職先の商社では、「戦略を勉強したい」と入社し、4年ほど経つと転職していく先輩や同僚が多く、仕事の一体感や面白みを感じられませんでした。
そのとき、改めて学生時代を振り返って、「海外で事業を立ち上げたい」という初心を思い出しました。
そこで、機械工業系部品を扱う前職の経験が活き、かつ自分の夢を叶えられる会社として、現在の商社に転職を決めました。
5年ほど海外子会社の経営管理はじめ、中国・アジアでの会社設立や設備投資など、本社側での事業投資業務を経験したのち、6年目に念願が叶い、メキシコの農村地帯に自動車メーカー向けの素材加工の会社を立ち上げるプロジェクトに従事しました。会社設立から立ち上げまでの一連の業務を担当し、営業部、業務部、経理・財務、人事・総務、システムを管掌する経営管理部を統括する立場でした。
これが、最初にお話ししたプロジェクトのことです。
メキシコの街。ユネスコ世界遺産に登録されたグアナファト(伊藤さんご提供)
メキシコではずっとやりたかった海外事業の立ち上げを経験できましたが、工場を立ち上げてからの最初の1、2年は、「二度と立ち上げに関わるものか」と思ったほど大変で、精神的にも肉体的にもきつかったです。しかし、なんとか新会社を立ち上げ、単年度黒字まで持っていくことができました。
農村地帯の田舎町に自動車メーカーが進出すると、雇用が生まれて、道路ができて、道路の横にレストランが開店して、周りにマンションが建って…。一気に工業団地化する過程を現地の人々とともに体感しました。
自分たちが雇用した社員から「初めて車を買った」「ボーナスで初めておばあちゃんを旅行に連れていった」といった嬉しい話を聞くと、「やって良かった」と心から思えました。
工場建屋が建設される過程と完成後(伊藤さんご提供)
学生時代から、「海外で事業会社を立ち上げたい」という目標に向かって、ひた走ってきました。
上司や先輩、関係者の方々のサポートもあり、さまざまな経験を積んで、長年の目標を達成できたとき、次の目標を探し始めるようになりました。
ちょうど、人生も社会人としても、折り返し地点にいる40歳を過ぎたタイミングでしたので、「残りの人生を何に注ぎ込んでいきたいのか?何を成し遂げたいのか?」と、キャリアゴールを考え始めたんですね。
そして、「社会における自らの存在意義、役割にこだわりたい」「社会に対して意義のある、インパクトのある製品やサービスを生み出したい」と考え、その目標を具体化するためにも、BBT大学院でより広く世界を知り、ビジネスや経営を学び直すことに決めました。
――メキシコ駐在中に100%オンラインで学ばれていましたが、続けられるかどうか不安はありませんでしたか?
実は、私はいわゆる“学習教材持ち”で、何かに手をつけてはやめてを繰り返し、長続きしない質(たち)でした。なので、BBT大学院も説明会などで手厚いサポートがあると知ったものの、入学前はきちんと修了できるか不安でした。
しかし入学後は、事務局や教務課の方々に、常にサポートしていただいている感覚があり、「何かあったらいつでもご相談ください」と言っていただいていたので、安心して学習に集中できました。
TA(ティーチング・アシスタント)の方が、講義やディスカッションでの発言を細かく見てくださったり、卒業研究などで指導教授が親身にサポートしてくださったりと、学習面においてもオンラインでも問題ありませんでした。
BBT大学院の皆さんのことを信頼して、勉学に励めたことはとても大きかったです。「やるなら今だ」と思い切って入学して、本当に良かったなと思っています。
ただ今思うと、教授との関わりについては、もっと積極的に質問などをすればよかったかもしれません。「こんな質問していいのかな」と引け目を感じてしまい、卒業研究以外の科目で教授宛に質問をすることはありませんでした。
これから入学される方には、「教授にも遠慮せずに質問してみては」とお伝えしたいです。
BBTの勉強で週末長時間利用していたメキシコのスターバックスで店員と(伊藤さんご提供)
――最近ではインターネットの学習コンテンツも充実し、さまざまな情報や学習の機会が得られますが、BBT大学院ならでは良さは何でしたか?
確かにインターネットには膨大な情報がありますが、信用できる情報かどうか自己判断するのが難しいと思います。
でも、BBT大学院なら実務経験が豊富で実績のある先生方が教えてくださるので、信頼できますし、実践の場で応用できることが学べます。
講義の内容は為になることばかりで、一字一句メモを取りたいくらいでした。…といっても、時間がないので、基本的に2倍速で視聴していましたが(笑)。2倍速で再生して、重要な部分や十分理解できなかった部分は巻き戻して視聴することもよくありました。
仕事が忙しく、メキシコで妻と娘と暮らしていたため、常に時間には追われていましたが、どの授業も本当に面白く、知的好奇心を駆り立てられる日々でした。
入学前は、MBAホルダーといえば「ロジックでバサバサ切っていく」という勝手なイメージを持っていました。
でも実際にBBT大学院でMBAを取得して、もちろん論理的思考についても学びますし、大切な視点ですが、それ以上に発想力や構想力が鍛えられました。現状や課題を分析し、そこから飛躍する力、新しいことを生み出す力が身につき、期待以上のステージに上がることができたと実感しています。
BBT大学院での学びを通して、新しいことを生み出す力の重要性をはじめ、新しい世界をたくさん知り、見たことのない景色が開けました。
――経営に必要なヒト・モノ・カネを学ぶ科目のほか、「リーダーシップ論」や「プレゼンテーション技法」などさまざまですが、特に印象に残っている科目は?
1年次に取った「起業家精神研究」ですね。
40名もの起業家の講演が聞けましたが、特にソフトバンクグループ株式会社取締役会長の孫正義さんの講演には惹きつけられました。
孫さんの講演で、「やりたいことを見つけるのがとても難しい。でも、心底純粋に自分に問うて、やりたいことが見つかれば、物凄いエネルギーが自分に宿る。命を捨てても良いと決意ができているなら、事業資金、そんなものは集まって当たり前。天から降ってくる。集まらなかったら、まだそこまでみなさんのレベルがそこに達していないだけ」と、起業とは本能への探求なのか?と考えさせられる趣旨のお話があり、「自分が真にやりたいこと、やり遂げたいことは何か?」と心をぐらぐら揺さぶられるような感覚がありました。
経営戦略や事業立案などを学んでも、エネルギーがないとなかなか前へ進めないと思います。大前研一学長も言われていますが、「やりたいことを見つけるのが何よりも重要なんだ」と改めて感じました。
また「イノベーション」では、新しい企画やビジネスアイデア、プランを生み出す発想法が学べました。
受講前は、新しい物事を生み出せるのは才能で、自分にはその才能がないのだと漠然と思っていました。しかし、例えば違ったもの同士を組み合わせて新しいものをつくるなど、発想の方法を学ぶことで、自分にもできると自信がつきました。
講義では、「家電の新商品を考案する」といった課題が3,4日ごとに出ました。たくさんの課題に取り組むことで、自分の思考がどんどん活性化されましたし、発想法を用いてアイデアを出すことにも慣れ、現職でも発想法を活用するようになりました。
――具体的に、発想法などの学びをビジネス現場でどのように活用されていますか?
所属している商社は、伝統的な産業を対面としていることもあり、新しいビジネスモデルが生まれにくい傾向がある一方で、新たな収益モデルを作っていくことが命題になっています。
そこで、BBT大学院の在学中に、「自社の強みである素材加工の現場と新しいテクノロジーを組み合わせられないか」と考え、画像認識とAIの技術を活用した新サービスを構想しました。
プロジェクトは事業開発の専門部隊が担うことになりましたが、新しい仕組み化とデータの蓄積によって、素材加工に留まらず、社外のさまざまな製造現場にも横展開できると考えています。
このように、従来とは異なる新しい視点を仕事現場にも取り入れられるようになったと実感しています。
BBT大学院の良いところは、内容が実践的なので、学んだ翌日から実際の仕事で使えるところだと思います。いつも、学んだことを使いたくてしょうがない気持ちでした(笑)。学びが実務での結果につながるのが良いですね。
これまでの実務経験によって、経営学の基礎は入学前からある程度備わっていたと思います。しかし、経営学を改めて体系立てて学ぶことで、自分の中で整理ができました。先生方の講義によって、実務でどうすべきかわからなかったことへの解決策を編み出せたこともありました。
10年、20年と実務を経験してきた40代だからこそ、実体験と学問が結び付く面白さが原動力になり、「もっと学びたい!」という高いモチベーションを保てたのだと思います。
――卒業研究では、どんなことをテーマにしましたか? 問題発見(テーマ設定)から問題解決までの道のりについてもお聞かせください。
卒業研究では、「ドッグ・ブリーダーと飼い主を繋ぐプラットフォーム事業」をテーマに事業計画を立案しました。
在学中、今後注力したい仕事について模索するなかで、自分が好きだったことを振り返り、「今までの生活には必ず犬がいた」ということに気づいたんです。
幼少期に飼っていた柴犬のチロと(伊藤さんご提供)
幼少期には、5歳離れた弟が生まれたのを機に、当時飼っていたチロ(柴犬)を手放した苦い経験があります。両親は苦渋の決断だったと思いますが、里親に引き渡す際、逃げ出したチロの後ろ姿を鮮明に覚えています。
その後、高校に入学し、香港から日本に帰ってきたタイミングで、フレット(ゴールデンレトリバーの雄)を飼い始めました。数年後にはサラ(同犬種の雌)そして、エバ(キャバリアの雌)が家族に加わり、家で三頭飼っていました。母は犬好きが高じて盲導犬のボランティア活動に携わり、家ではリタイア犬や保護犬を迎え入れるなど、多くの犬と暮らす日々を過ごしてきました。
左からサラ、フレット、エバ(伊藤さんご提供)
そして、メキシコの駐在中に、エルフ(ジャックラッセルテリアの雄)を迎え、日本でも一緒に暮らしています。
ブリーダーから迎え入れ、もともと気質としても穏やかな性格のゴールデンレトリバーのフレットやサラと、ペットショップで出逢った臆病であるがゆえに吠えることが多く、気性が荒いように見えてしまうジャックラッセルテリアのエルフと、全く気質が異なることに興味を持つようになりました。
ジャックラッセルテリアのエルフ(伊藤さんご提供)
もちろん、犬種や個体差もあるとは思いますが、母犬のもとでたくさんの愛情を受けて育ち社会化がなされている犬と、おそらく早期に母犬から引き離されてしまった犬との違いもあるのではと、犬の流通に関心を持つようになりました。
そして、ネットやニュースから情報収集し、犬の殺処分の事実を知りました。こうした悲惨な現状をビジネスの力で解決できないかなと思い、卒業研究のテーマにしました。
事業構想にあたり、殺処分の問題の背景を調べると、『犬を殺すのは誰か ペット流通の闇 』(太田匡彦著、朝日新聞出版)から、日本国内の犬の流通の約7割がペットショップ経由であることがわかりました。
そこで、直接アポを取って、国内約20店舗のペットショップや保健所(動物愛護センター)の飼育員の方々からお話を聞き、フィールドワークを行いました。業界ニュースを読んで、岡山県に犬の生体販売を止めたペットショップがあることを知り、現地までお話を聞きに行ったことも。
子犬は通常1日18時間程度眠るのですが、ペットショップではずっと照明がついていて、お客さんが来たら起こされて抱っこされたりもするので、相当なストレス環境です。
さらに、生まれてすぐに母親から引き離れてしまい、犬社会のマナーがわからず、ほかの犬を怖がる子になってしまうこと、生まれた場所からペットショップまでのトラックでの移動も子犬の体に負荷がかかることなども、フィールドワークからわかりました。
また、犬の飼育経験がある人を対象にネットアンケートを実施し、犬を飼う前後のギャップや、犬との暮らしでの困りごとを聞いたところ、「しつけが大変」という声が多く挙がりました。
犬社会のマナーがわからず、ペットショップの閉鎖空間とは異なる人間社会にも慣れていない犬は、恐怖や驚きから、人間やほかの犬に吠えたり噛みついたりしてしまうことがあるそうです。中には、手に負えなくなった飼い主による飼育放棄や、保健所に連れ込み殺処分に至ることも…。
しかし、その原因は犬自身ではなく、生まれてから飼い主の元に行くまでの過程や環境にあると考えました。
さらに調べていくうちに、ブリーダーが無計画に犬を繁殖させた結果、飼い主が見つからずに劣悪な環境で生きたり、殺処分されたりしている問題も知りました。もちろん、動物福祉を真剣に考えておられるペットショップやブリーダーも数多く存在しますが。
そこで、本質的な問題を解決し、飼い主と犬が一緒に幸せに暮らせる仕組みをつくるためにドッグ・ブリーダーと飼い主を繋ぐプラットフォームの事業化を卒研の柱にしました。
学長選抜プレゼンの様子
卒業研究では、全く想定していなかった学長選抜プレゼン(※)に選抜いただきました。
プレゼンでは人生最大級の緊張を経験しましたが、事前準備と発表を通じて、ずっと苦手意識のあったプレゼンを克服でき、一皮も二皮もむけたと感じました。
そして、思い入れが強い新規事業に対して良い評価をいただけたことで、「自分の足で歩いていける」と自信が持てるようになりました。
※編集註:学長選抜プレゼンでは、大前学長の前で卒研のプレゼンを実施し、講評を直接受けることができます。若干名だけが選抜される狭き門で、教員による卒研プレゼン審査で優秀だと判断された卒研のみが学長選抜プレゼンに進めます。
――今後の仕事のビジョンについて教えてください。
本業の伝統的な素材業界は、年々厳しい状況に陥っています。そんな中、研究テーマとして取り組んだペット業界に惹かれたこともありました。
しかし、当然ながら業界も企業も、良いときもあれば悪いときもあります。「せっかくBBT大学院で学んだのだから、悪いところから復活させないといけない」という想いが、修了してからだんだん大きくなりました。
上場企業の子会社という立ち位置ですので、社内は株主目線が非常に強く、儲けの議論が多いんですよね。もちろん、株主へのリターンを考えることは必須ですが、企業がその存在を許されているのは、株主のみならず、ステークホルダーから価値を認めてもらっているからです。利益は提供する価値の対価ですから、後からついてくるものだと思うんですよね。
しかし、社内では利益目標、予実管理の話ばかり。年々利益が減っているということは、存在意義が薄れていっているということです。
ですので、改めて、「まだ解決できていない社会が抱える問題は何で、自分たちがこれまで培ってきた強みを活かしながら、どういうことに貢献できるのか?」という社会貢献のマインドをみんなが持って、ごく普通に日常業務の打ち合わせの中で、そういうことを熱く議論する風土をつくりたいと思っています。これからは、そういうことに時間を使いながら、ゆくゆくは上場を目指したいですね。
実は、メキシコに赴任する3ヶ月前、父が「手術を受ければ1年、受けなければ半年」と余命宣告を受けました。メキシコに行くか悩みましたが、父からの強い応援もあり、行くことに決めました。
父は、QOLが落ちることを心配して手術は受けない選択をしました。これが良い決断だったようで、あちこち旅行しながら余命を楽しみ、医師の想定を超えて余命宣告から2年半と、長生きすることができたんです。でも66歳でしたから、まだまだやり残したことがたくさんあったんじゃないかと思うんですね。
私は、新人のときに経験させていただいた飛び込み営業、そして、転職して戦略立案、今の会社で事業投資、海外事業の立ち上げと、ある意味、本当に広くさまざまなことを勉強させていただいたと思っています。
ですので、あとは「いかに社会へ貢献するか」なんですよね。父の想いも受けて、しっかりと生きないといけないなと思っています。
卒業研究のテーマにした「ドッグ・ブリーダーと飼い主を繋ぐプラットフォーム事業」は、今後個人で携わっていき、社会に貢献したいと考えています。
まだペット業界について精通していませんし、犬のブリーディングもトレーニングについても素人です。
プラットフォーム事業を実際に立ち上げるときには、ブリーダーさんやトレーナーさんとの人的なネットワークも重要になります。そこで、将来への準備やネットワークづくりのために、今年(2020年)の1月からドッグトレーナーの養成学校に通っています。
犬のトレーニング方法を学び、学校の卒業生や同期の方々のお話を伺いながら、また、業界内でのネットワークを広げていきながら、一歩ずつ事業化を進めていきたいと思います。