「部下を持ったことがなかった」係長からインドネシア法人代表への大抜擢、台湾法人代表を歴任し、現在は企業の枠を超えて、製薬業界の発展を目的とし業界団体のアジア部会長として活躍されている長岡さん。その陰にはBBT大学院での学びがありました。
長岡秋広さん(ながおか あきひろ)
2007年10月BBT大学院入学、2009年9月修了。入学時42歳、現在56歳。
大手製薬企業Global Public Affairs, Trade Associations & Regional Support Head、日本製薬工業協会国際委員会アジア部会長。
2001年~2009年まで製薬企業インドネシア法人代表(当時BBT大学院入学)、2011年~2014年まで台湾法人代表、帰任後は専任理事として主にアジア地域の業界活動に従事し、転職を経て現職。
ーー長岡さんは、人を動かすプロフェッショナルとしてこれまで、様々な成果を上げられてきました。人を巻き込んで、動かしていく力はどうやって身につけて来られたのでしょうか?
経営者として人を動かし結果を出すための要諦は、インドネシア法人代表を務めたときに学ばせてもらいました。
着任当時は係長だったので、実はそれまで一度も部下を持ったことがなかったんですね。
それに異国の地で文化も違えば、言葉も違う。習慣も、宗教までも違う。現地法人の状況それ自体も決して芳しいものではありませんでしたし、厳しい仕事でした。
そんななかで信頼できるひとを採用し、毎週のマネジャー会議でわたしの考えや優先順位を理解してもらい、その方向に動いてもらう。そうすることでしか結果は出せないんだな、と学びました。
その後台湾でも3年現地法人代表を務めましたが、そのときも大切なことは同じでした。トップとして進むべき方針を明確に示す、実行できる人にしっかりとお願いし、理解してもらう。
これがインドネシア、台湾で合計10年経営者をやらせていただき学んだことですかね。そのなかでBBT大学院で学ばせていただき、実践で学びを試行錯誤しながら、使わせてもらいました。
ーーインドネシアで初めて部下を持たれたんですね。はじめての海外法人代表ですし、相当大変だったかとお察しします。
相当大変でしたよ(笑)。組合員をアジア販社の社長にする前例のない人事で、周囲からはピンチヒッターとして空振り三振するだろうなと思われていたでしょうけども、当時の上長がすべてのリスクを負ってくださり私を配属してくれました。器の大きな上司にチャンスを与えてもらい、本当に感謝しています。
ーー現地でBBT大学院で学んだことを実践で試しながら、血肉にしていかれたとのことですが、具体的にどのような学びが印象的でしたか?
BBT大学院に入学したのは、インドネシアで経営者として試行錯誤して5年が経過したころでした。この5年やってきたことは果たして正しかったのか。それを確かめたいという一心で入学したことを覚えています。
特に思い出すのは、松本先生の起業論(※註1)ですね。名前は起業と銘打っていますが、講義内容には経営のなにが重要なのか?が明確に含まれていました。何度も何度も復習しましたね。
やっぱり重要な経営判断をするときに、本当にこれで間違っていないだろうか?と何度も確認しています。そんなとき、10数回に及ぶ講義をすべて見直して、よし!と腹を決めて決断をしていましたね。
社長というのは立場上、孤独です。インドネシア時代も、その後の台湾時代も基本的に日本人ひとりで単身赴任でしたし、本社に報告はすれど、家族を含め意見を聞くこともありません。自分だけで経営判断をしなければいけません。そういうときにBBT大学院の学びには背中を押してもらっていました。
ーー起業論には経営のプリンシプルが含まれていた、と。
そうですね。修了後には、TAとして松本先生の講義をお手伝いさせていただくことになり、松本先生に直接お話を伺う機会もありました。そのときも大きく学ばせていただきました。
大前学長も含め、歴戦の偉大な経営者には滲み出る凄みがあります。お話を何度もお伺いし、時には先生方から対面で直接薫陶を受ける貴重な機会も頂いたおかげで、経営者としてのロールモデル像を思い描くことができました。得るものが本当に大きかったです。
経営者は立場上、社内のだれかに相談することができない案件もあります。そんな時BBT大学院で一般論として先生に相談したり、BBTでの学びを実際に試行錯誤して使ってきました。わたしは本当に、本当にBBTにお世話になりました。
ーー長岡さんは修了後にも、かなり学びを使い倒していただいていますね。
修了してからも経営の現場で実践をしていると、さまざまな課題にぶつかります。その度に講義や学びを復習すると、ああ、こういうことか!と気付かされることが何度もありました。
学び、実践し、課題にぶつかって復習する。そのことで初めてわかることがあるんです。オンラインでいつでも必要なときに復習できるのはBBT大学院でなければできないことなんじゃないでしょうか。
もちろん、インドネシア勤務時代にMBAを学べたのも、100%オンラインだからですしね。お世話になりすぎて頭が上がりません(笑)
(※註1)サン・マイクロシステムズやシスコシステムズの日本法人を立ち上げ、日本事業の急成長を牽引した松本孝利教授担当の起業論(現在は閉講)。
ーーインドネシア、台湾の現地法人代表を経験され、まさに経営者、リーダーとして歩まれているように思います。今はどのようなお仕事をされているのでしょうか?
日本の製薬業界のなかでも最も重要な業界団体である、日本製薬工業協会(以下、製薬協)の国際委員会・アジア部会長を務めています。約40社100名の部会員のニーズを踏まえ、主に薬事規制面とアクセス面のアジアでのビジネス環境の改善につながる活動に従事しています。就任し、現在3年目です。
霞が関の監督官庁である厚生労働省の国際部門、医薬品医療機器総合機構(PMDA)と官民連携をし、アジアの相手国規制当局と折衝し、会員企業の新薬がアジアでいち早く承認を取得しビジネスをより早く立ち上げられるよう尽力しています。
これは国益のための仕事だ、と使命感を持って取り組んでいます。
医療用医薬品産業は日本政府にとっても非常に安定した高水準の法人税を納めている産業なんですね。国内市場が縮小するなか、政府にとっては税収を増やすため、各企業の経営者にとっては売上増大のためにもアジアでの売上拡大がミッションとなっています。
こうしたトレンドを背景にアジア部会の会員企業・会員も増加しており、日本政府も2015年以降協力してくれています。
日本企業がどれだけ画期的な新薬を開発したとしても、最終的には相手国の規制当局に承認をいただかないと、その国の患者さんに届きません。製薬業界はグローバルな産業であり、同時に規制産業なんです。そういった意味で、対規制当局との折衝が非常に大事です。
普通は製薬企業の渉外部門は、日本の規制を変えるために日本の規制当局を相手に仕事をします。基本的には日本で完結するんですね。
それに対して、私が取り組んでいるのは他国の規制を変えるために、他国の規制当局に働きかけることなんです。それに、相手国の規制当局が交渉に応じる相手は、日本の規制当局です。
事前に業界団体側から日本の規制当局に「この国でこういう課題があるから、なんとかしてくれ」と伝達、連携し、現地に赴いて交渉に臨むことになります。大抵2日くらいかけて現地でシンポジウムを企画し、官民で議論をして、要望を出していくんです。
もちろん、相手国は日本と文化も慣習も対応の仕方、態度も全然違いますから、相手にとって一番フィットするやり方で折衝していくことが求められます。こういう仕事なので、なかなか1年では結果が出ず、数年かかることもザラで、実際に6年かかったケースもあります。
ーーすごくタフですね…。ここまで難易度の高い仕事を進められるためには、どのようなことを心がけておられるのでしょうか。
特に厚労省の方々と話していて思いますが、大義が重要だと感じます。いち企業の人間が言うのはお恥ずかしいのですが、会員企業がアジアでのビジネスをより早く立ち上げる、業界が隆盛するというのは、日本の国益を増すことです。
大義という観点でいえば、他国の規制当局との交渉の際にも重要です。たとえば2019年からインド規制当局の審査プロセスのスピードアップを要望し、2年がかりで実現したプロジェクトの話です。
薬事承認審査というのは有効性・安全性とGMP適合性の確認等を同時並行で進めていくものなのですが、インドの規制当局においては審査はひとつひとつ順番に進めるというルールがありました。
そこで、当時のインド規制当局・長官に「他の規制当局は同時並行でやっているので、インドでも同時並行で審査を行うようにすれば審査期間が短くなる結果、インド国民に新薬がより早く届けられますよ」と提案いたしました。
規制当局のトップですので、自国民に新薬を早く届けるというのは、おそらく官民共通のビジョンになるだろうと考えました。そうしてデリーの会場で長官に直接お伝えしたところ、「それはグッドアイデアだ、検討する」とコメントをいただきました。
一年後、東京で開催された同シンポジウムで再び私から長官に進捗状況を確認したところ、長官から「鋭意検討中だ」とのコメントがありました。そして、一か月後、長官がインドにおける薬事承認申請を同時並行で審査する事を明記した通知を正式に発出し、我々の要望が実現しました。
要望から実現まで1年強で成果が出た稀な事例ですが、私たち企業にとっても、インド当局・国民にとっても、霞が関にとってもWin-Winになるような大義があったから成せたのだと思います。大義を掲げ、Win-Winな関係構築をし、関係者を巻き込んで動かしていくことはBBT大学院で学ばせてもらったことです。
ーーMBAを検討されている方にメッセージをお願いできますか。
MBAはポータブルスキルだと思います。企業の課長だ、部長だという肩書は全然ポータブルなものじゃなくて、会社が変わればそんなもの全然役に立たないんですよね。大手企業の部長、課長だといわれれば、一応信頼性はありますが、それだけです。
MBAだったら、日本国内はもちろんのこと、海外の外資系企業にだって通じます。それに修了後に実践を通じて復習をし、スキルも高めていくことでどこの会社、業界でも使えるハードスキル、ソフトスキルになります。
実は私はアジア部会長のポジションを維持したまま、2年前に転職しました。この様な転職は非常に珍しいケースのようです。長年のアジアビジネスの経験と業界活動の実績から、ありがたいことに厚労省・PMDAの国際部門等の霞が関関係者を含め業界内で「アジアといえば長岡さん」と名前を出して頂けるようになれたのは幸せなことです。
1つの会社でステップアップしていくことも、ひとつの選択肢です。しかし、自分の専門性を積み上げ、MBAのようなポータブルなスキルを身につけることで自分自身のキャリアに戦略的自由度を持つことだってできます。会社を超えた、いろいろなところで個人として価値を生み出していくこともあってもいいのだと思います。
「部下を持ったことがなかった」係長からインドネシア法人代表への大抜擢、台湾法人代表を歴任し、現在は企業の枠を超えて、製薬業界の発展を目的とし業界団体のアジア部会長として活躍されている長岡さん。その陰にはBBT大学院での学びがありました。
長岡秋広さん(ながおか あきひろ)
2007年10月BBT大学院入学、2009年9月修了。入学時42歳、現在56歳。
大手製薬企業Global Public Affairs, Trade Associations & Regional Support Head、日本製薬工業協会国際委員会アジア部会長。
2001年~2009年まで製薬企業インドネシア法人代表(当時BBT大学院入学)、2011年~2014年まで台湾法人代表、帰任後は専任理事として主にアジア地域の業界活動に従事し、転職を経て現職。
ーー長岡さんは、人を動かすプロフェッショナルとしてこれまで、様々な成果を上げられてきました。人を巻き込んで、動かしていく力はどうやって身につけて来られたのでしょうか?
経営者として人を動かし結果を出すための要諦は、インドネシア法人代表を務めたときに学ばせてもらいました。
着任当時は係長だったので、実はそれまで一度も部下を持ったことがなかったんですね。
それに異国の地で文化も違えば、言葉も違う。習慣も、宗教までも違う。現地法人の状況それ自体も決して芳しいものではありませんでしたし、厳しい仕事でした。
そんななかで信頼できるひとを採用し、毎週のマネジャー会議でわたしの考えや優先順位を理解してもらい、その方向に動いてもらう。そうすることでしか結果は出せないんだな、と学びました。
その後台湾でも3年現地法人代表を務めましたが、そのときも大切なことは同じでした。トップとして進むべき方針を明確に示す、実行できる人にしっかりとお願いし、理解してもらう。
これがインドネシア、台湾で合計10年経営者をやらせていただき学んだことですかね。そのなかでBBT大学院で学ばせていただき、実践で学びを試行錯誤しながら、使わせてもらいました。
ーーインドネシアで初めて部下を持たれたんですね。はじめての海外法人代表ですし、相当大変だったかとお察しします。
相当大変でしたよ(笑)。組合員をアジア販社の社長にする前例のない人事で、周囲からはピンチヒッターとして空振り三振するだろうなと思われていたでしょうけども、当時の上長がすべてのリスクを負ってくださり私を配属してくれました。器の大きな上司にチャンスを与えてもらい、本当に感謝しています。
ーー現地でBBT大学院で学んだことを実践で試しながら、血肉にしていかれたとのことですが、具体的にどのような学びが印象的でしたか?
BBT大学院に入学したのは、インドネシアで経営者として試行錯誤して5年が経過したころでした。この5年やってきたことは果たして正しかったのか。それを確かめたいという一心で入学したことを覚えています。
特に思い出すのは、松本先生の起業論(※註1)ですね。名前は起業と銘打っていますが、講義内容には経営のなにが重要なのか?が明確に含まれていました。何度も何度も復習しましたね。
やっぱり重要な経営判断をするときに、本当にこれで間違っていないだろうか?と何度も確認しています。そんなとき、10数回に及ぶ講義をすべて見直して、よし!と腹を決めて決断をしていましたね。
社長というのは立場上、孤独です。インドネシア時代も、その後の台湾時代も基本的に日本人ひとりで単身赴任でしたし、本社に報告はすれど、家族を含め意見を聞くこともありません。自分だけで経営判断をしなければいけません。そういうときにBBT大学院の学びには背中を押してもらっていました。
ーー起業論には経営のプリンシプルが含まれていた、と。
そうですね。修了後には、TAとして松本先生の講義をお手伝いさせていただくことになり、松本先生に直接お話を伺う機会もありました。そのときも大きく学ばせていただきました。
大前学長も含め、歴戦の偉大な経営者には滲み出る凄みがあります。お話を何度もお伺いし、時には先生方から対面で直接薫陶を受ける貴重な機会も頂いたおかげで、経営者としてのロールモデル像を思い描くことができました。得るものが本当に大きかったです。
経営者は立場上、社内のだれかに相談することができない案件もあります。そんな時BBT大学院で一般論として先生に相談したり、BBTでの学びを実際に試行錯誤して使ってきました。わたしは本当に、本当にBBTにお世話になりました。
ーー長岡さんは修了後にも、かなり学びを使い倒していただいていますね。
修了してからも経営の現場で実践をしていると、さまざまな課題にぶつかります。その度に講義や学びを復習すると、ああ、こういうことか!と気付かされることが何度もありました。
学び、実践し、課題にぶつかって復習する。そのことで初めてわかることがあるんです。オンラインでいつでも必要なときに復習できるのはBBT大学院でなければできないことなんじゃないでしょうか。
もちろん、インドネシア勤務時代にMBAを学べたのも、100%オンラインだからですしね。お世話になりすぎて頭が上がりません(笑)
(※註1)サン・マイクロシステムズやシスコシステムズの日本法人を立ち上げ、日本事業の急成長を牽引した松本孝利教授担当の起業論(現在は閉講)。
ーーインドネシア、台湾の現地法人代表を経験され、まさに経営者、リーダーとして歩まれているように思います。今はどのようなお仕事をされているのでしょうか?
日本の製薬業界のなかでも最も重要な業界団体である、日本製薬工業協会(以下、製薬協)の国際委員会・アジア部会長を務めています。約40社100名の部会員のニーズを踏まえ、主に薬事規制面とアクセス面のアジアでのビジネス環境の改善につながる活動に従事しています。就任し、現在3年目です。
霞が関の監督官庁である厚生労働省の国際部門、医薬品医療機器総合機構(PMDA)と官民連携をし、アジアの相手国規制当局と折衝し、会員企業の新薬がアジアでいち早く承認を取得しビジネスをより早く立ち上げられるよう尽力しています。
これは国益のための仕事だ、と使命感を持って取り組んでいます。
医療用医薬品産業は日本政府にとっても非常に安定した高水準の法人税を納めている産業なんですね。国内市場が縮小するなか、政府にとっては税収を増やすため、各企業の経営者にとっては売上増大のためにもアジアでの売上拡大がミッションとなっています。
こうしたトレンドを背景にアジア部会の会員企業・会員も増加しており、日本政府も2015年以降協力してくれています。
日本企業がどれだけ画期的な新薬を開発したとしても、最終的には相手国の規制当局に承認をいただかないと、その国の患者さんに届きません。製薬業界はグローバルな産業であり、同時に規制産業なんです。そういった意味で、対規制当局との折衝が非常に大事です。
普通は製薬企業の渉外部門は、日本の規制を変えるために日本の規制当局を相手に仕事をします。基本的には日本で完結するんですね。
それに対して、私が取り組んでいるのは他国の規制を変えるために、他国の規制当局に働きかけることなんです。それに、相手国の規制当局が交渉に応じる相手は、日本の規制当局です。
事前に業界団体側から日本の規制当局に「この国でこういう課題があるから、なんとかしてくれ」と伝達、連携し、現地に赴いて交渉に臨むことになります。大抵2日くらいかけて現地でシンポジウムを企画し、官民で議論をして、要望を出していくんです。
もちろん、相手国は日本と文化も慣習も対応の仕方、態度も全然違いますから、相手にとって一番フィットするやり方で折衝していくことが求められます。こういう仕事なので、なかなか1年では結果が出ず、数年かかることもザラで、実際に6年かかったケースもあります。
ーーすごくタフですね…。ここまで難易度の高い仕事を進められるためには、どのようなことを心がけておられるのでしょうか。
特に厚労省の方々と話していて思いますが、大義が重要だと感じます。いち企業の人間が言うのはお恥ずかしいのですが、会員企業がアジアでのビジネスをより早く立ち上げる、業界が隆盛するというのは、日本の国益を増すことです。
大義という観点でいえば、他国の規制当局との交渉の際にも重要です。たとえば2019年からインド規制当局の審査プロセスのスピードアップを要望し、2年がかりで実現したプロジェクトの話です。
薬事承認審査というのは有効性・安全性とGMP適合性の確認等を同時並行で進めていくものなのですが、インドの規制当局においては審査はひとつひとつ順番に進めるというルールがありました。
そこで、当時のインド規制当局・長官に「他の規制当局は同時並行でやっているので、インドでも同時並行で審査を行うようにすれば審査期間が短くなる結果、インド国民に新薬がより早く届けられますよ」と提案いたしました。
規制当局のトップですので、自国民に新薬を早く届けるというのは、おそらく官民共通のビジョンになるだろうと考えました。そうしてデリーの会場で長官に直接お伝えしたところ、「それはグッドアイデアだ、検討する」とコメントをいただきました。
一年後、東京で開催された同シンポジウムで再び私から長官に進捗状況を確認したところ、長官から「鋭意検討中だ」とのコメントがありました。そして、一か月後、長官がインドにおける薬事承認申請を同時並行で審査する事を明記した通知を正式に発出し、我々の要望が実現しました。
要望から実現まで1年強で成果が出た稀な事例ですが、私たち企業にとっても、インド当局・国民にとっても、霞が関にとってもWin-Winになるような大義があったから成せたのだと思います。大義を掲げ、Win-Winな関係構築をし、関係者を巻き込んで動かしていくことはBBT大学院で学ばせてもらったことです。
ーーMBAを検討されている方にメッセージをお願いできますか。
MBAはポータブルスキルだと思います。企業の課長だ、部長だという肩書は全然ポータブルなものじゃなくて、会社が変わればそんなもの全然役に立たないんですよね。大手企業の部長、課長だといわれれば、一応信頼性はありますが、それだけです。
MBAだったら、日本国内はもちろんのこと、海外の外資系企業にだって通じます。それに修了後に実践を通じて復習をし、スキルも高めていくことでどこの会社、業界でも使えるハードスキル、ソフトスキルになります。
実は私はアジア部会長のポジションを維持したまま、2年前に転職しました。この様な転職は非常に珍しいケースのようです。長年のアジアビジネスの経験と業界活動の実績から、ありがたいことに厚労省・PMDAの国際部門等の霞が関関係者を含め業界内で「アジアといえば長岡さん」と名前を出して頂けるようになれたのは幸せなことです。
1つの会社でステップアップしていくことも、ひとつの選択肢です。しかし、自分の専門性を積み上げ、MBAのようなポータブルなスキルを身につけることで自分自身のキャリアに戦略的自由度を持つことだってできます。会社を超えた、いろいろなところで個人として価値を生み出していくこともあってもいいのだと思います。