超音速旅客機といえば、1970年代に英仏が開発した「コンコルド」が思い出されます。コンコルドは2003年に退役し、現在では、超音速旅客機は就航していません。コンコルドによく似た形の超音速旅客機が2029年に再び就航を目指しています。
コンコルドに何回か搭乗した経験を持ち、従来機でも400回以上渡米した経験を持つBBT大学院・大前研一学長に、超音速旅客機で出張する便益は大きいのか、聞きました。
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部
米国のユナイテッド航空は、米国デンバーを拠点とする航空機ベンチャー「ブーム・スーパーソニック」が開発した超音速機「オーバーチュア」15機を購入する契約を結んだ。さらに35機を追加購入する権利も得た。両社は購入額を明らかにしていない。
この超音速機はマッハ1.7(音速の1.7倍=1800km/h)と現状の航空機の2倍の速度である。現在は10時間前後かかる成田−サンフランシスコ間を約6時間で結ぶ。旅客収容人数は88人の見込みである。2025年には完成し、翌2026年から飛行を開始、2029年の商用運航を目指す。
かつて1970年代に英仏が開発した「コンコルド」という超音速旅客機があった。最高速度マッハ2を実現し、1976年1月に定期国際航空路線に就航した。高度2万メートルという成層圏を飛んで、パリ−ニューヨーク、ロンドン−ニューヨークを約3時間で結んでいた。
私も何回か乗ったことがあるが、窓から外を見ると成層圏は真っ暗だった。機体が狭いので、窓側に座ると窮屈で体を小さくすることになる。
飛び始めると壁が熱くなって、「大丈夫かな」と思いながら座っていた。あまりにも爆音がすごくて、かつ燃料のすごい垂れ流しをするところもネックだった。運賃も高額だった。
2000年に墜落事故が発生したこともあって、2003年11月に退役した。わずか14機しか商用運航されなかった。コンコルドの場合、英国で1日仕事をして翌朝、ロンドンを離陸するとニューヨークには朝8時前に着いた。同じ日の9時からの会議に出ることができて不思議な感じがしたものだ。西向きの場合には、太陽を追い越していくのでこういう芸当ができるのだが、東回りの場合には、朝出てもどのみちその日の仕事時間には間に合わなかった。
超音速機「オーバーチュア」は、騒音の軽減やすべて持続可能なジェット燃料(SAF=Sustainable aviation fuel)が使われることをうたっている。ユナイテッド航空が掲げる「2050年までに温室効果ガスの排出量をゼロにする」という脱炭素化の目標も達成できるという。
確かに、機体を見ていると美しい。ただ、途絶えていた超音速の空の旅が復活すると言われても、あのコンコルドとどう違うのか。ユナイテッド航空も大赤字なのに、よくこんな意思決定をするなとも思う。
だいたい、成田−サンフランシスコ間が6時間になっても、空港まで行く時間を考えると、それほど画期的な変化とは感じられない。おそらく大気圏を飛行する場合、特に冬の間には時速200qくらいの偏西風の追い風が吹いているので、東回りの場合には成層圏飛行でそれほど時間的メリットが出ないということかもしれない。
私はよくオーストラリアに行くが、別に飛行スピードを速くしてほしいとは思わない。夜8時ごろに成田発の飛行機に乗ると、翌朝には着く。その間、日本にいるときと同じように睡眠ができて、ちょうどいい。時差もあまりない。これが短くなったら、到着したときにむしろ眠たくなると思う。
かつてM&Aのアドバイスの仕事で欧州を飛び回っていたころ、帰りの飛行機の中では必ずリポートを書いていた。飛行機の中で快適に仕事をするには、ある程度の時間とゆったりした座席がある方がいい。
だから、これまでの旅客機の2倍の速度で運航すると言われても、あまり賛成はできない。
日本と米国西海岸を6時間で結ぶといっても、新型コロナ禍の現在ではほとんどピンとこない。米国に400回も行った経験から言えば、10時間以上かかってもかつてのように“普通に”海外に行くことができたら、と思う今日この頃である。
【動画】United goes supersonic | Boom Supersonic(再生時間:49秒)
※この記事は、『大前研一のニュース時評 2021年7月2日号を基に編集したものです。
大前研一
プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。