大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部
菅義偉首相が目玉政策に掲げるのが、「政府のデジタル化」とそれを担う「デジタル庁」で、2021年にデジタル庁を創設する準備が進んでいます。世界各国では90年代から2000年代にかけて行政の手続きや業務のデジタル化が進められてきました。日本は後進国です。
世界各国の「電子政府」の進み具合を示す国連のランキングで2020年に首位のデンマーク、同2位の韓国は省庁横断でデジタル化を進める権限を持つ組織を置きます。日本は同14位で、近年は世界10位以下が定位置です。担当が内閣府、内閣官房、経済産業省、総務省などに分かれ司令塔がいないと指摘されています。
2001年のIT(情報技術)基本法の施行以降、「世界最先端のIT国家を目指す」としながらデジタル化が遅れています。菅政権のもと、日本政府はデジタル先進国に這い上がることができるのか、BBT大学院・大前研一学長に聞きました。
菅政権は2020年9月23日、「デジタル改革関係閣僚会議」の初会合を開催し、デジタル庁創設に向けた動きを本格化させた。「日本社会デジタル化計画」の司令塔と位置づけるデジタル庁は、2021年1月の通常国会に設置法案やIT基本法改正案を提出する考えだという。
しかし、菅政権肝入りの政策にもかかわらず、菅氏自身、「デジタルとは何か」ということがよく理解していないのではないか。平井卓也氏をデジタルの担当大臣に任命したことでも、「理解していないこと」が明らかである。
この平井デジタル改革担当相、一応、「ITに強い」ということにされている。しかし、あくまでも「自民党の議員の中では」という注釈付きである。
平井氏は自民党のIT戦略特命委員長、自民党ネットメディア局長を歴任しているが、この間、やっていたことは安倍晋三総裁(当時)をモデルにしたスマホ向けゲーム「あべぴょん」の開発や、ニコニコ動画の「ネット党首討論会」で福島瑞穂議員に「黙れ、ばばあ!」というコメントをスマホを使って書き込んだり…といった、「さすが電通出身!」と思わせる向こう受けすることばかりである。
2020年5月の検察官の定年延長に関連する衆院内閣委員会では、野党議員と担当大臣の質疑中、タブレット端末でワニの動画を閲覧していたのが判明して批判を浴びていた。
書籍などに記した私の提案を1行でも読んでいれば、こういう人は選ばないはずだ。だいたい、デジタル担当大臣を縦割り行政の突破口にしたいと考えるのなら、ほかの大臣より格上にしなくてはダメである。
世界では超優秀なIT人材を組織のトップに抜擢し、各省庁の長よりも上の立場で、部門横断的に変革を推進している。
新型コロナに対して先進的な取り組みをした台湾の唐鳳(オードリー・タン)デジタル担当大臣は、ほかの大臣よりも格上になっている。
私は以前、マレーシアのマハティール・ビン・モハマド首相(当時)の経済アドバイザーを務め、IT先進国にするための国家プロジェクト「マルチメディア・スーパーコリドー構想」を提案した。その実現を阻む法律があったら、すぐにサイバー社会に適したものに替えていった。このときの担当大臣は、マハティール首相そのものだった。
このくらいのことをしないと、ほかの省庁の既得権益は、ぶっ壊せない。日本の場合、「デジタル庁」という(省よりも下の格の)名称自体、すでに間違っている。ここは「デジタル・スーパー省」にしないといけない。
平井担当相はIT企業の若手とのつき合いが深いことを自慢している。デジタル庁の職員についても「公募しようと思っている」と強調している。だったら、担当大臣自体も新しい組織運営体系、システム体系を自分で構想できる人をトップに据えてほしい。
例えば、10本の指と虹彩を含む生体認証13億人分を登録したインドのアドハー(国民識別番号制度)を推進させた身分証明庁のナンダン・ニレカニ元長官。この功績で日経アジア賞も受賞している。
出身はインドのIT大手のインフォシス・テクノロジーズの共同創業者で、私も1990年代に合弁企業を一緒にやっていたのでよく知っている。現在はNPOを作ってボランティア的な仕事をしていると聞いているので、この人を2年間、日本に大臣クラスで呼んでほしいものだ。
日本政府のIT分野の遅れは先進国としてはギネス記録モノだ。菅首相と同様、マスコミも理解していないのに、「平井氏はITに強い」と持ち上げている。オベンチャラは最初の3日間だけにして、新しい組織運営体系・システム体系を自分で構想できる人をデジタル庁のトップに連れてきてほしい。
※この記事は、『大前研一のニュース時評』 2020年9月27日を基に編集したものです。
大前研一
プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。