パレスチナとの軍事的な緊張が続くイスラエルは「住みたい国」とは思えません。しかし、イスラエルは、結果としてではあるのかもしれませんが世界で活躍できる条件を備える人材を養成し、その強い人材力が世界でも有数の「強い国力」を形作っているのだとBBT大学院・大前研一学長は言います。
イスラエルの人材力の強さの秘密である要素として、「危機感」「語学力」「理系重視」「スマホセントリック(スマホ中心)」を大前学長はあげます。これらの4要素について大前学長が解説します。
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部
2021年5月25日、11日間にわたって続いた、イスラエルとパレスチナの武装勢力ハマスの軍事衝突が、エジプトの仲介で停戦した。
ハマスは数千発のロケット弾を発射したが、イスラエル側は防空迎撃システム「アイアンドーム」でロケット弾のほとんどを迎撃した。イスラエル軍によれば、標的の90%以上を撃ち落としたそうで、まさに「鉄の天井」だ。
逆にパレスチナのほうが、イスラエル軍の空爆を連日受けた。報道によれば、パレスチナ側の犠牲者数はイスラエルの10倍ほど。それでも停戦後、ハマスの幹部は「偉大な勝利だ」と勝利演説をしたというから懲りていない。
米国のバイデン大統領は、交戦が始まった2日後にイスラエルのネタニヤフ首相(当時)に電話して停戦をすすめた。トランプ前大統領が常にイスラエル側だったのに対して、外交経験が豊富なバイデンは慎重に対応したと見ていい。
ただ、トランプ路線を急に切り替えることが難しいのも事実だ。米国国内のユダヤ人が機嫌を損ねると巨額の金が逃げていくし、戦争で儲ける軍事ロビーもうるさい。だから、今や米国の傀儡政権が支配するエジプトが、停戦の仲介役を務めたのだ。
そもそもパレスチナ問題は、古くは第一次世界大戦中のイギリスによる「三枚舌外交」などを起源とし、第二次大戦後に国連の決議によってイスラエルが建国されたことに始まる。建国によって、1800年余りも離散の民だったユダヤ人が大量に入植した。「これは欧米が勝手に決めた暴挙だ」と周辺のアラブ諸国は反発し、イスラエル国内のパレスチナ自治区を支援し、対立構造が顕在化した。
イスラエルは1948年の第一次中東戦争以降、周辺国と戦争するたびに国土を広げてきた。その軍事力は主に米国が支え、フランスの協力で核保有国にもなった。軍事的緊張は長年続いたが、93年にはイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間でオスロ合意が成立し、国連で2国家共存が決議された。この合意で、テロリストで知られるPLOのアラファト議長が、ノーベル平和賞をもらったほどだ。
しかしアラファトの死後、ファタハ党のアッバス議長がリーダーとなるが、彼は誰からも信頼されない人物で、2006年の選挙でファタハは敗北。タリバンやISと同様にテロリスト集団と欧米諸国に呼ばれるハマスが過半数の議席をとり、今日に至る。
ハマスはイランの支援で武器を製造しているが、威勢よく攻撃したかと思うとミサイル弾が尽きてきたら早々に和平交渉に応じるのが、毎度お得意のパターンだ。停戦中に元気を取り戻したら、また攻撃を仕掛けるだろう。
こういった歴史があるから、建国当時と違って、今のイスラエル人はエルサレムを「安住の地」と見ていない。油断すれば周辺のアラブ諸国から攻撃される。できれば米国などへ渡って成功したいというのが、イスラエル人の本音なのだ。
ユダヤ人はもともと語学と理系に強いから、国外で成功することは難しいことではない。ユダヤ人の言葉はもともとヘブライ語だが、入植時に米国からイスラエルに帰った人は英語、ロシアから帰った人はロシア語と、外国語が得意な人たちが多い。ヘブライ語を共通言語としていたが、そのうち小学校から英語を学ぶようになった。
これまで長期政権を維持してきたネタニヤフ前首相も、国民に語りかけるときはヘブライ語だが、英語のほうが実は得意であり、上手に使い分けていた。
敵に囲まれたイスラエルには国民皆兵制度があって、女性にも兵役が義務づけられている。しかし皆兵といっても、頭のいい連中は軍事訓練ではなく、実は事業計画を練っていいということになっている。除隊したらすぐに起業できるようになっているのだ。
そういうイスラエルの起業家の中には、実はパレスチナと仲良くしたい人たちが現れ始めている。イスラエル国内は優秀な人材ほど起業家志向で、他人の下で働きたがらない人ばかりだからだ。だから現実には、パレスチナ人の雇用の多くは、イスラエル人によって産み出されてきているのが実態だ。
コンピュータ言語も小学校から教わるからITに強いのは当然だ。グーグルやマイクロソフトなどが研究所を設置し、「中東のシリコンバレー」と呼ばれるほど理工系人材は豊富だ。
ただ、自分で起業するにはいまひとつ資本が足りないから、資金調達ではシリコンバレーへ出かけることになる。イスラエル出身者が優れたアイデアを見せれば、起業の資金はすぐに集まる。
たとえば、自動運転技術でエヌビディアと世界を二分するイスラエル企業モービルアイは、2014年にニューヨーク証券取引所に上場するや時価総額は1.2兆円を超えた。2017年には、インテルが約1.7兆円で同社を買収した。
イスラエルでは、すでにスマホが運転免許証などのIDを兼ねている。デジタル先進国で名を上げている北欧のエストニアでは、スマホですべての公共サービスが受けられる電子政府が発達しているが、イスラエルでも政府はスマホを通して国民とつながっているのだ。国民のデータベースには、年齢、住所、学歴、職歴などの個人情報に加えて、健康診断のデータなどの医療情報も蓄積されている。
だから、コロナワクチンの接種でも、イスラエルの場合は「○月○日にここへ来い」とスマホに通知がくる。ワクチン接種が世界で最もスピーディーに進んだ理由は、このスマホセントリック(スマホ中心)な政府であることが最大の要因なのだ。イスラエル国内のコロナの新規感染者数は、すでに0人を記録するようになり、マスク着用義務も解除されている。
このようにイスラエルの強みを見てくると、日本の将来が心配になってくる。成長が鈍化し少子高齢化などの重大課題が数多くあるのに、日本政府は有効な対策を講じず危機感に乏しい。
教育制度に関しても、20世紀型の古い学習指導要領を維持し、英語を話せない人、コンピュータ言語を駆使できない人を量産し続ける。21世紀は全員が理系の思考方法を身につけなくてはいけない、というのに高校2年から理系と文系に分け、7割が文系を選択する。そして、スマホの時代に今さら1人1台パソコンを配布する文科省の古い時代認識。
コロナワクチン接種や10万円の定額給付金の案内だって、すべてスマホでなく郵送なのが日本だ。
人材の差は、そのまま国力の差になる。「危機感」「語学力」「理系重視」「スマホセントリック」が、日本の復活に欠かせないキーワードなのだ。
※この記事は、『プレジデント』誌 2021年7月2日号を基に編集したものです。
大前研一
プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。