大前研一メソッド 2024年6月18日

「次の一手がない」米アップル社

Apple Inc
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

世界のビッグテックを牽引してきた米アップル社ですが、重大な岐路に立たされています。売上高、利益の伸びが鈍化し、失速しかけています。
〚資料〛Apple【AAPL】の業績・財務

アップルは2021年11月以来守っていた時価総額首位の座を2024年1月に米マイクロソフト社に奪われて以来、首位の座を奪還できない状態が続いています。(2024年6月17日現在)
〚資料〛米国株ランキング(時価総額)

iPhoneに続く「次の一手がない」アップルはどこへ行くのか。BBT大学院・大前研一学長にアップルについて聞きました。

「アップルカー」開発を白紙撤回

アップルの屋台骨であるiPhoneは勢いがない。株価低迷の原因はiPhoneの販売不振だけではない。何より大きいのは、iPhoneの次の一手が見えないことにある。ビッグテックといえども、次の成長戦略を描けなければ投資家から見放されるのだ。

アップルが次の一手として期待していたのは、電気自動車(EV)だった。しかし2024年2月、約10年前から取り組んでいたEV開発計画の白紙撤回が発覚。「アップルカー」は幻と消えた。

ITメーカーであるアップルがEV開発に乗り出したのは、EVを「移動する大きなパソコン」と位置づけていたからだ。たしかにEVは、OTA(Over The Air:インターネット経由で車両のソフトウエアを更新する技術)に象徴されるように、IT技術の粋を集めたものだ。

ただ、仮にアップルが高性能な自動車のソフトウエアの開発に成功しても、アップルカーが世に出たとは思えない。なぜなら、アップルはハードウエアをつくった実績がないからだ。

iPhoneが世界のスマホ市場を席巻することができたのは、アップルの厳しい生産要求に低コストで応える鴻海(ホンハイ)精密工業(以下、鴻海)というEMS(電子機器受託生産)企業の存在が大きい。

私の知る鴻海創業者のテリー・ゴウはiPhoneの新商品が発売する1カ月前になると、工場のある中国・成都に入って陣頭指揮を執る。

あるとき「相談がある」と成都に呼ばれたが、私は台湾にいたので「台北なら」と答えると、彼は自家用機で台北に飛んできた。そして空港で私と会って相談を済ませると、2時間で成都にとんぼ返りした。アップルが設計するiPhoneを世界同時発売に合わせて大量生産するのは、トップが現場にべったり張りついていなければならないほど大変なのだ。

iPhoneは鴻海のおかげでうまくいった。しかしEVで鴻海と同レベルでやってくれる受託メーカーを見つけることは難しい。ここは自分でものづくりができない会社の弱点だ。

製造ノウハウのないアップルが成長したのは、先行者としてユニークなビジネスモデルをつくりあげたからだった。しかし、EVは違う。アップルが開発に手間取っている間に多くの会社がEVを発表。充電インフラをはじめ、様々なスタンダードができあがってしまった。アップルは自らルールをつくれば輝けるが、既存のルールに乗ると魅力を失う。

今回EVの開発を白紙に戻したのも、既存のルールを覆すだけのものはつくれないと判断したからに違いない。所詮は勝てない戦いだ。

生成AIではOpenAIとパートナーシップを組む

負け戦に見切りをつけた決断は評価できるが、遅きに失した感が否めない。

EV開発から撤退しても、アップルに次の一手がないという課題は依然として解消されていない。アップルはEV開発に注ぎこんでいたリソースを生成AI開発に移すというが、遅れを挽回するのは至難だろう。

アップルは2011年にiPhoneにAIアシスタントSiriを搭載して、AI時代の先陣を切ったかのように思われた。しかし実際には、世界中がAI開発競争に沸く現在、独自の生成AIすら発表できていない。すでに周回遅れどころか、2周遅れの有り様だ。

アップルがこの遅れを取り戻すのは容易ではない。マイクロソフトがOpenAIに出資したように、外部からAIベンチャーを取り込む手もあるが、いまとなってはそれも手遅れだろう。

生成AIの自社開発にこだわらず、アップルはOpenAIとパートナーシップを組み、 最新版「ChatGPT」をSiriから利用可能にすることを2024年6月に発表した。方向性自体は正しい。

次なる生成AIの戦場では、EVと同じ轍を踏まない戦いができるのか。アップルは重大な岐路に立たされている。

※この記事は、『プレジデント』誌 2024年5月17日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。