大前研一メソッド 2024年8月6日

生成AIを使った学習法

generative ai learning method
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

生成AIの進化が、急速に進んでいます。「ChatGPT」の登場で、社会が求める人材像が劇的に変わっているのです。「この変化に対応できない人や企業、そして国は淘汰されていく」と、BBT大学院・大前研一学長は警鐘を鳴らします。

生成AI時代に私たち、そして子供たちはどのように学習法を変えなければいけないのでしょうか。大前学長に生成AIを使った学習法を聞きました。

プロフェッショナルは稼げなくなる

日本企業では、日立製作所は2024年6月、投資家向け説明会で2027年をめどに生成AIのスペシャリストを5万人規模で育成する計画を発表した。以前にも、自社で生成AI人材育成に取り組む企業はあったが、生成AIをメインに、これだけ大規模な人材育成計画を打ち出した日本企業は日立が初めて。今後追随する企業も出てくるだろう。

ただ、その中身が肝心であり、生成AI人材育成に着手しても、もしプロンプトエンジニアの創出を想定しているなら認識が遅れている。生成AI時代に活躍するのは、エンジニアのようなプロフェッショナルではないからだ。

社会が求める人材は時代によって変化する。18世紀の産業革命で、世界は農業社会から工業化社会に突入。工業化社会が求めたものは、決められたことを正確に行えるブルーカラーや、機械や工場の設計ができるエンジニアだった。日本はこの時代に適応して経済成長し、世界第2の工業大国になった。

しかし1980~1990年代に本格的に到来した第3の波——情報化社会——に乗り遅れてしまった。情報化社会では、製品を作ったり売ったりする直接業務より、バックオフィスの間接業務がものをいう。間接業務をIT化して生産性を高めるにはSOP(StandardOperating Procedures)、つまり業務プロセスの標準化が不可欠だ。

知識や情報が価値を生む情報化社会で重宝されたのは、専門知識が求められる仕事だった。たとえば弁護士や会計士、医師、コンサルタント、エンジニアなどのプロフェッショナルである。

私がマッキンゼーに入社した1972年は、誰も戦略コンサルタントという職業を知らなかったが、退職した90年代にはマッキンゼーが東大法学部の就職人気ランキングでトップ10に入り、近年でも高学歴の学生に人気の高い会社になっている。これも情報化社会で、戦略の専門家の持つ知識や思考法が重宝された結果だ。この20~30年は、まさにプロフェッショナルの時代だった。

1990年代後半以降、情報化社会にインターネットが加わってサイバー社会になっていくと、専門家の知識や情報が一般に開放される現象も起きた。ネットにつながっていればグーグル検索で世界中の情報にアクセスできる。ネットの情報は玉石混交だが、ウィキペディアのように複数の人が編集に関わって情報の正確性を高める仕掛けもある。プロフェッショナルだけが専門知識を独占していた時代ではなくなった。

けれども、一般の人が専門知を活用するのは難しい面があった。どこにどのような専門知識があり、どのようにそれを使えばいいのか、自分で探したり考えたりする必要があったからだ。

師である生成AIと対話しながら学ぶ

この壁を崩したのが生成AIだ。2022年11月にOpenAIが「ChatGPT」を発表。検索ワードを工夫しなくても、普段の会話と同様に質問すれば答えが出てくるようになった。「ChatGPT」の登場は衝撃的であり、その後の進化にも驚かされた。OpenAIが2024年2月、動画生成AI「Sora」で生成したデモ動画を公開。「東京の街を歩くスタイリッシュな女性」と指示や質問(プロンプト)をすると、まさにイメージ通りの動画が生成されていた。

あるセミナーで、私は熱海(静岡県)の将来像について話した。すると、それを聞いていた株式会社プラグの小川亮社長が、「大前さんが話していた未来の景色はこうですか」と、その場で生成した画像を見せてきた。やや違う点があったので指摘すると、すぐその場で新しい画像を生成した。出来上がりがなかなか美しく、「AIの世界にも吟遊詩人がいた」と唸らされた。

私が、構想力について人に教えるときには、頭にあるイメージを、苦労してCG(コンピュータグラフィックス)で何枚か作成する必要があった。頭のイメージを他人に伝えるのは手間暇のかかる作業だったが、今では日常言語を使い、数分もあれば驚くほど正確に画像で表現できる。

さらに、2024年5月に発表された「GPT-4o」は、以前のものに比べ、会話が別次元に自然だ。これまではAIに入力するプロンプトにはコツが必要であったため、前述のような生成AI活用に積極的な企業は、プロンプトエンジニアを育成しようとしていた。

しかし、「GPT-4o」になると、プロンプトを意識せずに、普通の会話の延長で指示や質問をしても、生成AIが専門知識を提供してくれる。こうなると、もうプロフェッショナルは要らない。業績悪化に悩む経営者は、生成AIに悩みを相談すればよく、生成AIなら、3分で資料まで用意して改善策を教えてくれるようになる。それを「英訳しろ」、と言えば数分で完成する。今後、翻訳者や翻訳企業は何で飯を食っていくのか、と思うほどレベルが高い。

たとえるなら生成AIは哲人ソクラテスだ。古代ギリシアの哲学者プラトンは、師であるソクラテスと対話しながら真理に到達しようとした。ビジネスパーソンもプラトンになったつもりで生成AIに語りかければ事足りる。

ソクラテス的存在の生成AIが常に傍にいる時代になれば、プロフェッショナルの価値は限りなくゼロに近づく。もちろんプログラミングという専門スキルは不要だし、プロンプトを学ぶ必要もない。プロンプトエンジニアを育成するのは、わずか数カ月の間に時代遅れになった。

企業はそれでも必死に時代についていこうとするだろう。絶望的なのは日本の学校教育である。

学ぶものは自分で見つけ、周囲はサポートに徹する

文部科学省は2020年から小学校、2021年から中学校でプログラミングを必修化。プログラミング不要の時代が目前に迫っているときに、今さら始めたうえに、内容がひどい。最初に習うのは、「デジタルとは……、二進法とは……」。入り口でそんなことを教えるから子どもはプログラミングが嫌いになるのだ。

「学習指導要領を決めたときには、まだ生成AIはなかった」というかもしれない。しかし、学習指導要領は約10年に1回しか改訂がなく、その間にAIから生成AIが生まれ、数カ月単位で進化を遂げている。テクノロジーは加速度的に日々進化しているのに、そもそもカリキュラムを10年に1回しか見直さないのはナンセンスだ。

さらに言えば、学習指導要領自体が不要だ。弁護士や会計士、医師といったプロフェッショナルに就くには、必ず設問とそれに対する答えがある、国家資格に合格しなければならない。そういった世界で合格点を取るには、同じく質問があらかじめ用意され、解き方のルールや正解が決まっている暗記学習が効果的であり、学習指導要領で固められた学校教育にも意味があった。

しかし、時代は変化し、プロフェッショナルが稼げる時代は終わったのに、文科省は学習指導要領の名の下、今後、価値がなくなる人材を創ろうとする。

日本の教育は根本的に見直さなくてはいけない。具体的には「誰が」「いつ」「何を」という視点で設計し直すのだ。

「誰が」は簡単だ。「先生」の語源とは、先に生まれた人ほど、たくさんの知識と経験を持ち、その知識を次の世代に教えるというものだが、先に生まれた人ほど、今では通用しない物事を身につけて教えたがる。それならばソクラテス先生こと生成AIに教えてもらったほうがいい。学校教育では正解を教えたがるが、ソクラテス先生は対話型。問題を発見したり、自分の頭で論理的に考え、質問したりするトレーニングにもなる。

先生や親が介在してもいいが、正解を教えるティーチャーではなく、生成AIとの対話をサポートするファシリテーターに徹する。

「いつ」は、文科省に目をつけられる前の2歳頃からが理想的だ。ヤマハ4代目社長の川上源一は「リズム、メロディー、ハーモニーは2歳からやらないと本物にならない」といって日本全国に音楽教室をつくった。そこから世界コンクールで優勝するピアニストを多数輩出。世界で活躍するスポーツ選手も、幼少期から個別指導で英才教育を受けていたケースが目立つ。

「何を」は、実は何でもかまわない。本人が好きなことを学べばいいのだ。私の次男はゲームばかりして12歳頃から学校に行かなくなったが、独学でゲームを作るようになった。多くの人が社会人になる22歳のときには、業界歴10年のプログラマー。次男が開発に関わったゲーム開発プラットフォームは、今や業界でもっとも売れるゲーム作成エンジンになった、と言う人もいる。

芸術やスポーツだけでなく、ゲームやアニメなど、今日本が世界で誇れる分野の多くは文科省の埒外から育っている。たとえばプリツカー賞を受賞している建築家・安藤忠雄氏は、高卒で、若い頃はボクサーだったが、世界的な建築家になった。模造紙とクレヨンで大胆に描く像が希少価値を生む。構造設計などの細部は大学で建築学を学んだ人がやればいい、という発想だ。

学ぶものを学習指導要領で決めるのではなく、自分で見つけることが大切だ。周りはそれをファシリテートするだけでいい。そうやって育った人材が、生成AI時代をリードするのだ。

※この記事は、『プレジデント』誌 2024年8月2日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。