大前研一メソッド 2022年3月8日

「学力偏差値」導入の狙いは、国民の”洗脳支配”だった!?

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「学力偏差値」導入の狙いは、国民の”洗脳支配”だった!?

2022年1月15日、東京大学の前で、大学入学共通テストの受験生ら3人が刃物で切りつけられて負傷した事件が起きました。逮捕された名古屋市に住む高校2年生は、東大医学部を目指していたといいます。学校の面談で「東大は無理」と言われて犯行を計画したと報道されています。学歴偏重、偏差値教育への批判が高まりました。

「学力偏差値と共通テストは、それぞれ日本をおかしくしている」とBBT大学院・大前研一学長は言います。そして、学力偏差値の導入のある目的を当時の首相である中曽根康弘から知らされながら、「間違っている」と阻止できなかった過去を悔いると言います。

大前研一(BB大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

序列意識を骨の髄までしみこませることで学生運動を撲滅

学力偏差値は、私が大学入試をしたときにはなかった。1970年代に全国的に広まったが、普及した背景には、1972年に起きた浅間山荘事件がある。連合赤軍の残党5人が、浅間山荘の管理人の妻を人質にして9日間にわたって立てこもった事件だ。

首相になった中曽根氏のアドバイザーを務めていたときに、私が「また学生運動が盛んになりませんか」と尋ねたら、中曽根氏は「心配いりません。学力偏差値を全国的に導入して、政府に逆らう学生が出ないようにしていますから」と即座に言った。

偏差値というものは「○○大学のおまえは偏差値50の分際だ」と、自分の位置づけを上から目線で強烈に意識させる。偏差値が全国的に普及すれば、「おれは優秀だ」という勘違いから、政府に楯突く学生はいなくなる、というのだ。

私は中曽根氏の返事に驚き、絶句してしまった。「それは違います」とはっきり言えなかったのは、いま思い返しても残念だ。偏差値を「おまえは東京大学に入るのは無理、△△大学までだ」とふるいにかけ、従わせるための道具に使うのは明らかにおかしい。この結果、「末は博士か大臣か」という出世階段の見通し図が頭に染みこむ。

偏差値で育った世代は「高校時代に学年でトップだった人間が、東大法学部に入って官僚や政治家になったのだから、彼らに任せておけば安心だ」と平気で言うことがある。まさに政府の思う壺だ。ペーパーテストが得意な人間が仕事もできるかといえば、そうでないことは言うまでもない。

偏差値は、「人生のある一時期に、あるコンディションのなかで、試験にうまく回答できた」という意味でしかない。しかも、試験問題の9割以上は記憶力を試すもので、正解がある。

勉強よりもゲームの方が役に立つ

スマホ時代になって、記憶力はほとんど価値がなくなった。いつでもグーグル検索ができるからだ。現代社会は、記憶力で解くことはできない“正解のない問題”にあふれている。たとえば「日本と中国はこの先どのような関係を築いていくべきか」といった問題は、記憶力だけでは答えが出ない。“考える力”が重要になる。だが偏差値では、重要な問題を“考える力”は測れない。人生における偏差値の価値は、きわめて疑わしい。

若手経営者の話を聞いていても、偏差値が無意味であることがよくわかる。いまの起業家は、学歴とは無縁で、「10代はゲームに明け暮れていました」という起業家が多い。確かに、東大に入るより、ゲームのほうが起業に近い。

ゲームの世界は、未来がわからない。この次はどんな展開が待っているか……と思いながら進め、ゲームオーバーになっても何度も挑戦してコツを習得して対処していく。学習指導要領に沿った問題の正解を覚えるのとは違う。未知の状況に対応する感覚は人生そのものに近いし、起業にも近い。

しかし、親は「ゲームばかりやってないで宿題しなさい」と子どもを叱る。私に言わせれば、「宿題よりゲームをやったほうがいい」のだ。

実際、私の息子は2人ともゲームに熱中し、学校は途中で退学してしまった。だが、現在、長男はウェブ制作企業やドローンファンドを設立。次男はゲーム開発に欠かせないミドルウェア業界ではその名前がよく知られており、若い頃から稼ぐ力も相当なものだった。

大学入試共通テストは即刻廃止すべき

偏差値偏重が続く原因は、大学側にもある。大学入試共通テストで学生を選ぶことも問題の1つだ。共通テストは即刻廃止したほうがいい。

各大学は「本校ではこういう学生を求めます」と要求するスペックをはっきり示したほうがいい。入試方法や入試問題は、公示したスペックに適したものを独自に設けるべきである。

受験者は受験する大学を偏差値で判断するのでなく、各大学が求めるスペックや入試方法から志望校を決める。大学が個性を出せば、画一的な共通の試験を受ける必要はなくなる。

そういうと「公平性をどう確保するのか」といった批判があるだろう。しかし、世界の大学を調べても、「公平な入試」を謳うたっているところは見たことがない。

私は博士号を取得した米マサチューセッツ工科大学(MIT)で、5年間社外取締役をやったことがある。もし有名工科大学で公平な入試を実施したら、合格者は優秀なインド人ばかりになってしまう。実際にそうならず、学生の多様性が考慮されるのは、公平な入試ではないからだ。それでも不満は聞かないし、MITはどういう人材を採りたいかを明確にしているから、いまも世界中から学生が殺到している。

シンギュラリティが20年後に迫っていることを考えると、(その頃ちょうど活躍するいまの)学生が何を目指すべきか、どういう能力に磨きをかけるべきか、もっと広範な社会的議論が必要だ。

日本の大学も、「東大が偏差値1位、京大が2位」という考えから脱却しなければならない。「スタンフォード大学といえば起業、インド工科大学といえばエンジニア」といったように、求める学生のスペックを明らかにして個性ある大学を目指す。問題だらけの偏差値教育と共通テストを打破するのに、重要なポイントだ。

※この記事は、『プレジデント』誌 2022年3月18日を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。