大前研一メソッド 2024年10月8日

日本は地方自治を確立すべき

Japan centralism

大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

中央が無策だと国全体が衰退します。中央集権の単発エンジンであるがために、日本が世界の中での競争力を失い、じり貧に向かっているのです。中央集権の統治機構を固持しているところに日本の本質的な問題点が潜んでいるのだとBBT大学大学院学長・大前研一氏は指摘します。日本はなぜ中央集権なのか、何が問題なのか、どう変革するべきなのかを聞きました。

日本の地方自治は名ばかり

論じるべきは、国家の根幹である統治機構である。統治機構は、企業体を例えとして考えるとイメージしやすい。企業は取締役会が代表取締役を選任し、社長以下、事業本部、部、課、係といったような組織運営体制で統制されている。それに対して、日本国家は、中央政府、都道府県、市町村といった組織体で運営される。このように、全体を統治する組織運営体制を統治機構という。

日本の統治機構の問題点は、「地方自治」がないことである。日本の国土は、東西南北に約3000㎞ある。地域によって気候も違えば、生態系や文化も違う。各地域がそれらを踏まえて独自の戦略や計画を立て、予算を確保して動くことが全体の発展につながる。

ところが、日本の統治機構は中央集権だ。地方自治を担うはずの都道府県や市町村には自治の権限がなく、単に行政サービスを住民に提供するだけの国の出先機関に成り下がっている。

憲法をきちんと読んでみると、憲法で地方自治は規定されていない。たしかに、第8章には地方自治というタイトルがついている。しかし、肝心の地方自治についての定義がないのである。

憲法92条には以下のように書いてある。

「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」

地方自治の「本旨」とあるが、いったい何が本旨なのか、憲法には一切その記載がない。これでは、何も決めていないのと同じである。

そもそも、地方自治に関する章なのに、92条では地方の統治機構について「地方自治体」ではなく、「地方公共団体」と明記してある。都道府県や市町村は、地方自治を行うのではなく、地方の行政サービスを行うことを国に認められた「公共団体」という位置づけなのである。

憲法94条にも不備がある。

「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる」

地方自治は「立法」「行政」「裁判」の三権があって、はじめて自治と言える。ところが地方議会があっても「法律の範囲内」でしか条例を制定できない。このこと一つをとっても日本には地方自治がないことがよくわかる。

第8章のタイトルに地方自治と銘打ちながら、中身はなぜ骨抜きになったのか。原因はGHQが日本の中央集権がいかに根深いものか理解していなかったことにある。日本は江戸時代から中央集権的な統治機構で、藩にはそれぞれお殿様がいたが、参勤交代で江戸に出仕する必要があった。明治になると、明治政府のもとでさらに中央集権化が進んだ。

一方、米国は連邦制である。州が一つの国であり、三権どころか兵隊までも保有する。連邦は州を越えて外交・防衛・通貨を担うだけである。そうした国で育った占領軍の将校に、日本の中央集権は全く理解できない。わからないまま地方自治を移植しようとしたから、出来の悪い条文になった。

地方自治の基本は産業の創出

憲法で手をつけるべきなのは第8章である。具体的には憲法に地方自治をしっかりと定義し、地方自治体に三権を与えて、地域に合った運営を可能にする。

これは地方を元気にする起爆剤になりうる。例えば、日本は全国を一つの建築基準法で縛っている。こんな国は少ない。ドイツは州ごとに法律が違い、ミュンヘン市内中心部では街のシンボルであるフラウエン教会の景観を守るため建築物の高さは36mまでと定められている。一方、フランクフルトに行くと、マンハッタンのように高層ビルがいくつも建っている。かたや観光都市、かたや商業都市であり、それぞれの特性を活かしている。

日本は地震が多い国だが、長崎県の対馬は大陸側の硬い岩盤上にあり、地震の発生リスクが小さい。対馬にもっと自由に建物を建てることができたら、釣り人しか来ない現状より繁栄のチャンスが開ける。

税金も地方で自由に設定すればいい。米国のベンチャー企業はカリフォルニア州に集積していたが、最近はテキサス州で起業したり、本社を移転したりする企業が多い。法人税や個人所得税をゼロにしたからである。地方自治を進めれば、産業政策の自由度も増すのである。

日本も、例えば、都道府県の中で唯一の道である北海道なら現状でも多少の裁量がある。私は、横路孝弘知事時代にいくつか大胆な提案をした。まず、時間を明石標準時よりも1〜2時間早めること。北海道は日本の東の端であり、夏至前後の時期は午前3時台から明るくなる。サマータイムを導入するのも一つの手ではあるが、経度の違いを活かして、年間を通じて2時間早くすれば、札幌証券取引所は世界でその日一番早く開く金融市場になる。これは元・知事がチームを作って実際に検討が進んだが、実現する前に元・知事が退任してご破算になった。

北海道はほかにもいろいろできることがある。日本は農業への株式会社参入のハードルが高いが、独自に規制緩和して、デンマークの世界的な農業会社を誘致するのもいい。北米に最も近い地理的特性を活かして、新千歳空港を自由化してアジアと北米を結ぶハブ空港にしてもいい。アラスカ航空を買収して、第2本社を千歳空港につくる——など、具体的にできるアイデアは無限に湧いてくる。地方に権限があればできる施策はいくらでもある。

可能性を秘めているのは北海道だけではない。九州は50兆円近い規模の「シリコンファンド」を創設して、自前の財源を持つ——など、国の予算に依存しない投資戦略を展開する。道州制を導入して、全国を10州+沖縄に分け、それぞれが独自の戦略で動くことが本当の意味での地方創生につながる。

地方議員には自治を担う意欲があるのか

道州制は統治機構を上から見たときの改革だが、一方で下からの改革として、生活基盤の単位であるコミュニティの整備も必要である。そこで育ち、同じような文化や価値観を共有する30万人〜40万人程度を基礎自治体として統治機構の中に位置付けるべきである。

ところが、日本は都道府県や市町村が定義されていない。都道府県は名前こそ違うものの、国から認められた権限は同じである。市町村も同様に定義がなく、海外の人に英語で説明できない。

でたらめなので、「横浜市の人口は四国4県よりも多い」「世田谷区よりも人口が少ない県は9つある」といった事態が起きる。整理しようと、3000強あった市町村を「平成の大合併」で約1700に減らしたが、その市町村に何ができるかといった定義がされていない結果、今でも人口数千人の自治体が数多く残っている。

もちろん、大きさや名称をそろえればいいという話ではない。重要なのは自治だ。米国では、コミュニティごとに強い権限を持った行政府や議会がある。市長は利益相反を防ぐためにフルタイムで市長として働くが、議員の多くは兼業である。公聴会などは夜に開かれ、仕事後に集まる。権限が自分たちにあるので、住民も積極的に関わるのである。

それに対して、日本の地方公共団体や地方議会は権限が小さい。地方議員はすることがないから、上から降ってきた利権に群がる。議員の仕事が、自治ではなく利益誘導になっている。

似たような問題は国政でも起きている。中選挙区制度時代は、国家というスケールで物事を考えられる政治家がちらほらいた。中選挙区制度だと、同じ党で複数候補が当選する場合もある。勝てる候補は国家の問題に頭を割く余裕があった。しかし小選挙区制になり、どの候補も地元に縛り付けられる時間が長くなり、頭の中は利権誘導でいっぱいである。統治機構改革とともに選挙制度改革もしないとこの国に未来はない。

直近に行われる予定の総選挙(2024年10月15日公示、27日投開票)にも小粒な立候補者が集まるだけである。期待しろというのは土台無理な話だ。

※この記事は、『プレジデント』誌 2024年10月18日号 および 『大前研一アワー』#519 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。