大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部
米大統領選候補のハリス副大統領とトランプ前大統領は2024年9月10日、東部ペンシルベニア州フィラデルフィアで行われるテレビ討論会で、初の直接対決に臨みます。同年11月の投開票日まで2カ月を切る中、接戦の行方を左右する終盤戦の最重要イベントとして同討論会が注目されています。BBT大学大学院学長・大前研一氏は「ハリス大統領」の誕生を予想します。その理由を正副大統領候補の両面から聞きました。
毎回お祭り騒ぎになる米大統領選だが、今回は盛り上がりに欠けていた。ようやく熱気を帯びてきたのは、同年7月13日、ペンシルベニア州で演説中のトランプが銃撃を受けてからだ。ところが熱狂は1週間しか続かなかった。敗北が見えた民主党内でバイデンおろしの動きが強くなり、バイデンは自身の撤退と、新たな大統領候補としてハリスを支持することを表明した。極めて異例な交代劇だったが、これで情勢が一気に変わった。
マイノリティもハリスを歓迎した。ハリスの父親はジャマイカ出身の黒人で、母親はインド出身、米国の人種の多様性を象徴するような出自である。
今回の大統領選では、トランプとバイデンのどちらの候補も毛嫌いしている”ダブルヘイター”が有権者の3割存在した。その中心は若い世代だ。78歳のトランプ、81歳のバイデンは、若い世代にとって旧世代の遺物にしか映らず、政治離れを引き起こしていた。
しかし、59歳でマイノリティを象徴するハリスが民主党候補になったことで選択肢ができた。大統領選の投票には事前登録が必要であり、ダブルヘイターのうち、どれだけの人が登録するのかはまだ不透明である。ただ、この層が投票するとしたら、票はハリスに流れることが予想される。ハリスは俄然有利になった。
大統領候補の人気を左右するのは、プロフィールだけではない。重要なのは政治家としての力量だ。実はこの点でハリスには不安があった。トランプも批判しているように、副大統領としてのハリスは、バイデンの後ろを随行しているだけであり、存在感がなかった。
ただ、後継者候補になってから、少なくとも演説がうまいことはわかった。トランプは自分の言いたいことを一方通行で勢いよく伝えるスタイルだが、ハリスは対照的に聴衆に質問を投げかけながら巻き込んでいくスタイルである。聴衆から「YES!」と合いの手が入るたびに会場に一体感が生まれて盛り上がっていく。
弁舌の巧みさは、トランプとのテレビ討論会でより活きるだろう。ハリスは元検事で、上院議員に当選する前は、カリフォルニア州司法長官を務めていた。選挙スタッフに向けたスピーチでは、「私はあらゆる種類の犯罪者に対応した。女性を虐待した者、消費者を食い物にしたり、自分たちの利益のためにルールを破ったりする詐欺師だ」「トランプのような人間をよく知っている」と語り、「法の番人」対「犯罪者」の構図を強調した。
討論会でもこの点を追求することは間違いない。法廷さながらにトランプをやり込めることができれば、大統領の座はぐっと近づいてくる。
トランプとハリスを比較すると、それぞれの政治家としての素養以外にも、私が「ハリス圧勝」を予想する理由がある。それぞれのランニングメイト(副大統領候補として伴走する人)の差が大きい。
トランプ人気失速の原因は、銃撃を乗り越えて慢心したことにある。副大統領候補は、大統領候補本人が取りこぼすであろう層に人気がある候補者を選ぶケースが多い。白人男性の保守層に人気のあるトランプなら、共和党予備選で争ったインド系女性のニッキー・ヘイリーを選ぶのが無難だった。
しかし、勝利を確信したトランプは、自らの分身のようなJ.D.バンス上院議員を選んだ。ミニ・トランプを選ぶことで現在の支持をより強固なものにしようとしたわけである。
ところが、バンスはとんでもない食わせ者だった。バンスはオハイオ州の白人労働者階級の出身で、苦学の末にロースクールを卒業、自叙伝『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』がベストセラーになり、人気者になった。2022年にオハイオ州の上院議員選に立候補して当選した。
経歴を見ると印象は悪くないかもしれないが、バンスはもともと共和党内の反トランプ派だった。選挙でトランプから支援を受けるために転向した経緯がある。支援を受ける層にはトランプを「ヒトラー」と謗(そし)っていたが、その発言が今になって蒸し返されている。
二枚舌は、副大統領候補の指名を受けた党大会での演説にもあらわれている。バンスは安い中国製品を駆逐して「メイド・イン・アメリカ」を復活させると言った。まるでプアホワイトの代表であるかのようにふるまっているが、自身の前職はベンチャーキャピタルであり、資本家側のお金持ちだった。
致命的だったのは、過去の発言だ。バンスは3年前のテレビ番組でハリス、ビート・ブティジェッジ(運輸長官。同性愛者を公表)、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス(史上最年少の女性下院議員)を「childless cat ladies(子なしで、猫をかわいがる女性)」と揶揄した。その動画が広がり、批判の的になった。内容もさることながら、言い回しが幼稚でひどい。「cat ladies」は10代の子どもが嬉々として使いそうな表現であり、そのことに失望した有権者も多かった。
ちなみに、ハリスに出産経験はないが、夫に二人の連れ子がいる。夫の元妻は子どもたちを育ててくれたハリスに「彼女は愛情深く、いつくしみ、熱心に守り、いつもそばにいてくれる」と感謝のコメントを出した。一連の騒ぎでトランプは女性と若者の票を失った。
すでに党大会を終えた共和党は、正副大統領のチケット(組み合わせ)を反故にすることはできない。今頃、トランプは頭を抱えているはずである。
トランプが分身を副大統領に選んだのとは対照的に、ハリスはバランスの取れている人選をした。ミネソタ州のティム・ワルツ知事を選んだのである。
副大統領候補で私が有力だと考えていたのは、アリゾナ州のマーク・ケリー上院議員だった。ケリーは元空軍パイロット。湾岸戦争で39回の戦闘任務に就いた後に宇宙飛行士になる。下院議員の妻が頭に銃撃を受けて重症に。宇宙飛行士としての訓練を中断して妻の看護に専念した後、復帰してスペースシャトル「エンデバー」最後のミッションで船長を務めた。
このストーリーは、米国民なら誰でも知っている感動物語である。ハリスよりも大統領にふさわしいと言っても過言でないほど人望がある。
ただ、本人と関係ないところで障害があった。一つは連邦議会の議席数である。現在、上院は民主党51議席、共和党49議席でかろうじて民主党が過半数を占めている。すでに下院を共和党に握られている状態であるため。上院議席を一つも失いたくない。ケリーの上院議員辞任には障害になった。
もう一つ理由がある。アリゾナ州は南西部で、ハリスのカリフォルニア州と隣同士であることも大きい。正副大統領候補を南西部で固めてしまうと、その他の地域に支持を広げにくくなるのである。
ハリスの弱点を補うには、西海岸以外の白人男性が有力となる。その点では、東海岸ペンシルベニア州のジョシュ・シャビロ知事、中西部ミネソタ州のワルツ知事が有力候補になる。両者、甲乙つけがたいが、シャビロはユダヤ系で若者の反ユダヤ心情に触れる可能性がある。ハリスの夫はユダヤ系なので、政治的に重要なユダヤ票はそれで十分とみたのだろう。結果、ハリスは中西部の白人労働者階級受けがいいワルツを選んだ。
ワルツの手腕は未知数だが、下院議員と知事を長く務めたベテランであり、バンスよりもずっと安定感はある。よほどの想定外の事態が起きない限り、このまま11月を迎えて、ハリスとワルツのコンビが勝つシナリオが濃厚である。
ただし、そのシナリオで米国民が幸せになれるかどうかはわからない。ハリスはバイデンから移民管理を任されたが、何の成果もない。外交も音痴で、メキシコのことを何も知らずに失笑を買った。経済分野についても経験や実績もなく、国民の暮らしが良くなる期待感はない。トランプよりましだが、米国の衰退は今後も止まらないのではないかと思われる。
※この記事は、『プレジデント』誌 2024年9月13日号 を基に編集したものです。
大前研一
プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。