大前研一メソッド 2024年8月20日

収益が目的の泡沫候補に狙われた都知事選

Tokyo Governor
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

2024年7月、東京都知事選挙(以下、都知事選)の投開票が行われ、小池百合子都知事の3選が決まりました。過去最高の56名が立候補しましたが、最初から当選する目的はなく、収益が目的の泡沫候補が乱立する選挙でした。1995年に都知事選に立候補した経験を持つ、BBT大学大学院学長・大前研一氏に今回の都知事選を振り返ってもらいました。また、大前学長が今回の都知事選に立候補すると仮定したとき、何を争点に政策議論するかを聞きました。

当選ではなく収益が目的の泡沫候補が乱立

蓋を開けてみれば現職の圧勝である。この結果に私は何の期待も抱いていない。誰が選ばれようと、都知事選は茶番劇にすぎないからだ。

今回まず呆れたのはポスター掲示板だ。「NHKから国民を守る党」は関係団体も含めて24人を立候補させ、ポスター枠24枚分を確保。そこにオリジナルポスターを貼って何かPRしたい人に向け、団体への寄付の形を借りて実質的に販売していた。

「当選」ではなく「目立つ」ことを目的に立候補する泡沫候補は、昔から存在した。ただ、都知事選の立候補には供託金が300万円かかり、有効投票総数の10分の1以上を獲得できなければ没収。泡沫候補の立候補は、お金を払って政見放送で自分の言いたいことを言って溜飲を下げる、小金持ちの道楽だった。

ところがSNSや動画配信サイトの普及で、目立って動画閲覧回数を増やせば稼げる時代になった。その結果、選挙への立候補が供託金を没収されてもそれ以上に稼げるビジネスと化してしまった。今回の都知事選は、その現象が顕著に表れた選挙だった。

迷惑系YouTuberのような候補を遠ざける対策法は何か。供託金をグンと上げてハードルを高くするのも選択肢の一つだが、泡沫候補の中にも真面目に草の根で政治活動している人はいる。若い人の政治参加を促すという点でも、供託金の引き上げは難しい。

今の時代に合ったものにするためにはまず金のかかるポスター掲示板を廃止し、すべてサイバーに移行すべきだ。政見放送も地上波はやめ、インターネットで常時見られる状態にすればいい。

物理的に限りがあるポスター掲示板と違い、いつでもどこでも見られる状態になれば、かえって目立たなくなる。またネットは有権者が自発的に閲覧するものなので、本当に政治に関心のある有権者しか注意を払わなくなる。迷惑系YouTuberのように目立ってナンボの立候補者は、ROI(投資利益率)が下がるから、大人しくなるに違いない。

政策議論に対して都民は無関心

都知事選が茶番と言える点はほかにもある。政策論争が存在せず、都民もそれを良しとしている点だ。

私は1995年の都知事選に出馬した。マッキンゼーを辞めて退職金代わりにチームをもらい、1年かけて都の政策を練り上げて臨んだが、『意地悪ばあさん』で有名なタレント候補の青島幸男氏に大差で敗れた。

青島氏は世界都市博覧会開催など都のいくつかの政策について「ちゃぶ台をひっくり返す」と言っただけ。政策らしい政策はなかったが、都民はキャッチーなフレーズと抜群の知名度で選挙を戦う青島氏を選んだ。

政策論争は有権者に響かない現実を目の当たりにして私には出番がないと察した。『大前研一敗戦記』(文藝春秋)を出版したのは私なりの政治から足を洗う“辞世の句”であった。

都民の政策への無関心さは相変わらずだ。小池都知事は前回の都知事選で、待機児童、介護離職、残業、都道電柱、満員電車、多摩格差、ペット殺処分、これら「7つのゼロ」を公約に掲げた。

このうちペット殺処分は「ゼロになった」と主張するが、都独自の基準によるもので、国の基準に照らすと殺処分はゼロになっていない。また、満員電車はコロナで一時的に解消したが、行政の手柄ではない。もちろん二階建て電車は作っていない。その他のゼロは言わずもがな、むしろ公約達成がゼロだ。

それでも再選されるのは、都民が政策に関心がないからだろう。政策が伴わなくても、顔の売れた候補者の、聞こえのいいフレーズが支持される。ただ、都民が政策に関心が低いままでいられるのは、都政に大きな問題がなかったからかもしれない。

都政のコアな部分は行政のプロたちである都庁職員が回し、トップが誰であろうときちんと動き続けている。都知事を13年半務めた石原慎太郎氏は、たまにしか都庁に登庁しなかった。それでも滞りなく動くくらいに都庁の職員は優秀だった。

都知事や都議会議員などの政治家は、口利きに奔走

では、都庁職員がコア部分を回しているあいだ、都知事や都議会議員など政治家たちは何をしていたのか。実は都政の外縁部は、ズブッとしていて魑魅魍魎(ちみもうりょう)がうごめいている。そこは利権の巣窟であり、政治家は口利きに奔走している。

都知事選に立候補したとき、私の元に都職員からさまざまなタレコミがあった。たとえば都の施設には自動販売機の利権が都議ごとに割り当てられ、その都議と関係が深い自販機ベンダーが自販機を設置しキックバックを内密に贈っていた。義憤に駆られた職員が、そのリストを私に送ってくれた。

東京都現代美術館に至っては、展示区画ごとに利権があり、都議とグルの画商が言い値で絵画を販売。たとえばロイ・リキテンスタインの「ヘアリボンの少女」は6億円し、さすがにこれは問題になり、都議会でも追及された。

これらは私が都知事選に出た当時の話だが、利権に群がる構造は当時も今も変わらない。石原都政で設立された新銀行東京は、健全な中小企業経営に必要な金融機関だったが、都議が自分の選挙区から返済能力のない中小企業経営者を連れてきて、彼らに口利きするケースが相次いだ。結果、焦げ付きが積み重なり、経営再建のために都民の税金が追加投入される羽目になった。

築地市場の豊洲移転にも利権があった。小池都知事は石原元都知事や浜渦武生元副知事を都議会に呼び出して追及の構えを見せたが、後にあっさりと豊洲移転を認めた。追及されていた汚染は、改善されたのかどうか、明言はなし。小池都知事も築地再開発利権に取り込まれたのかもしれない。

今回の都知事選で争点の一つになった明治神宮外苑再開発も、同じデベロッパーが絡み、小池都知事主導ではないが、結局、再選で利権構造は温存される。

今回の都知事選で、都民は都政におおむね満足しており、相変わらず政策議論に関心がないことが明らかになった。しかし、都政に問題がないと考えるのは間違いだ。

東京都民は今後、介護と墓の問題に直面する

都民が今後、否が応でも直面するのが介護と墓の問題だ。

2023年の東京都の高齢者人口(65歳以上)は311万4000人。この人数がいずれ要介護になる可能性があるが、受け入れる介護施設が足りていない。同年3月の時点で、都内の特別養護老人ホームの要介護度3以上の入所待機者は3万6362人だった。

介護行政を担うのは市区町村である。地価が高くて施設を簡単につくれない市区町村は、地方の施設に要介護の住民を送り込む。しかし、受け入れる施設側も介護職員が足りていない。

2009年、群馬県渋川市の「静養ホームたまゆら」で火災が起きて、入所者10人が亡くなった。多くの犠牲者が出たのは、当直がワンオペで避難に手こずったからである。地方に送り出しているので見えにくいが、介護施設や介護職員の不足はすでに起きている問題である。都知事は待機児童より待機入所者ゼロを公約として掲げるべきだ。

この問題を解決するヒントは「水道」と「ゴミ」にある。

たとえば水道事業を担うのは全国どこでも市町村であり、かつては東京も23区の水道を運営する東京都水道局と、市町村ごとの水道部がそれぞれ水道を管理していた。ただ、事業主体が小さいと効率的な運営が難しく、大規模な投資もできない。そこで1970年代に都営一元化を進めて、東京の水道を東京都水道局に集約。巨大な組織になれば設備投資が進む。かつて東京の水道は飲める代物ではなかったが、最近はペットボトルで売れるほどおいしくなった。ゴミも同じように都に集約された。

介護行政も水道やゴミと同じように、市区町村ごとではなく都で集約すればいい。市区町村単独ではつくれない介護施設も、都にまとめれば可能だ。

設置場所は、東京どころか海外でもいい。タイのチェンマイにある介護施設は欧州の高齢者に人気だが、同じように都がつくって都民を受け入れる。チェンマイは涼しくて過ごしやすく、国内と違って介護職員を雇いやすい。日本から医師や看護師を派遣すれば、言葉の不安も解消でき、ほかにもインドネシアや西オーストラリアのイスマスなど、魅力的な候補地には困らない。

東京は墓地不足も問題だ。私は終活で青山霊園に毎年申し込みをしていたが、ハガキを10年送り続けても当選せず。都立の霊園に当たらなければ、費用が割高の民営霊園か、立体駐車場のような機械式の納骨堂に眠るしかない。

私が都知事なら、全国のゴルフ場を運営するPGM(パシフィックゴルフマネージメント)と交渉し、利用客が少ない関東のゴルフ場を購入して霊園にする。日帰りで十分にお墓参りできる距離で、新たに木を伐り倒す必要もない。

介護施設や職員、墓の不足は、今回の都知事選で争点にすべきだった。

都民の政策への無関心が続けば、4年後の都知事選も再び人気投票となるだけだろう。

※この記事は、『プレジデント』誌 2024年8月16日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。