大前研一メソッド 2024年12月17日

東京メトロ株に将来性はあるのか

大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

東京地下鉄(東京メトロ)が2024年10月、東京プライム市場に上場しました。2024年最大のIPOとして注目を集めました。東京メトロの伸びしろとして、有楽町線や南北線の延伸が期待されています。BBT大学大学院学長・大前研一氏は「自分なら東京メトロ株に投資はしない。将来性がないからだ」といいます。将来性がないと考える理由を大前学長に聞きました。

東京メトロの輸送人員は、日本の鉄道会社の中で2位

東京メトロの売り出し価格は1200円で、初値はそれを大きく上回る1630円。その後も高い水準で取引され、一時は時価総額は1兆円を超えた。

東京メトロの輸送人員は年間27億6500万人(2019年度)で、実は日本の鉄道会社の中では2位だ。65億700万人の1位JR東日本は別格としても、3位のJR西日本19億1200万人、4位の東急電鉄11億8700万人よりずっと多い。鉄道事業の営業収益を比較すると、通勤網や新幹線を抱えるJR東日本、JR東海、JR西日本の後塵を拝しているが、3564億6700万円(24年3月期)で4位。鉄道会社としては立派な業績だ。

ただ、直近の業績と企業価値は別の話だ。M&Aでは、事業の将来価値、つまり将来に得られるだろう利益から金利などを割り引くことで買収先の現在価値を決める。他の思惑も影響するので計算通りではないが、上場株をTOBする場合も、ベースには企業の将来価値がある。

東京メトロの将来価値はどうか。私は、この会社に成長の余地をあまり見いだせない。今の延長線上で経営を続けるなら、将来価値が中長期的に向上することは考えにくい。静観が妥当だ。

私鉄が独自のビジネスモデルを築いた理由

将来性がないと言い切る理由は、事業構造にある。同社の売上高3892億6700万円のうち、運輸セグメント(鉄道事業)は約9割。それに対して不動産セグメントは136億5400万円で、3.5%にすぎない。

他の鉄道会社と比べれば、東京メトロの事業構造がいかに極端なのかがわかる。同じ首都圏で営業する東急、西武ホールディングス、小田急電鉄は、鉄道やバスなどの交通事業がおおよそ2〜3割。他は不動産やサービス業で稼いでいる。輸送人員日本一のJR東日本でも3分の2程度。東京メトロの鉄道への依存度は突出している。

この数字からもわかるように、日本の私鉄各社は鉄道会社というより、沿線の地域開発デベロッパーとして成長してきた。具体的には、路線の開通前に郊外の土地を押さえ、開通と同時に駅から少し離れたところに住宅を建てて販売。人が増えるにつれて病院やスーパーなどの生活関連施設を充実させ、地価が高くなったところで駅近くにマンションを建設。開発し終われば鉄道を延伸して同じことをくり返す。これが阪急電鉄の小林一三に始まり、東急の五島慶太や西武の堤康次郎が発展させてきた日本の私鉄経営モデルだった。

日本の都市が人口集中でもスラム化していないのは、日本の50km圏に住人を散らばす私鉄の開発モデルのおかげである。他の国は、人が増えると都市の中心からだいたい20km圏内に集積する。その先に行きたければ車か長距離鉄道しかなく、住宅もあまり整備されていないからだ。結果、都市には所狭しと高層マンションが立ち並ぶ。

海外にも中産階級が住む郊外のベッドタウンはある。たとえばニューヨーク市街から約30kmにあるロングアイランド島に、戦後、2×4(ツーバイフォー)の規格住宅が大量に建てられた。その住宅街は「レビットタウン」と名づけられて中産階級に人気を博した。

ロングアイラインドには古くからロングアイランド鉄道が通っていて、通勤にも便利である。ただ、住宅を開発したのはロングアイランド鉄道ではなく他の民間デベロッパー。日本のように鉄道会社が主体となって一体的に開発するモデルは、やはり珍しい。

なぜ日本では独自のモデルで開発ができたのか。実は昔、その理由を東急に聞きに行ったことがある。

私はマレーシアのマハティール首相のアドバイザーを務めていた。マレーシアの首都クアラルンプールも人口増による過密化に悩んでいた。クアラルンプールの西約30kmにはクランという港街がある。マハティール首相から「2つの街を鉄道でつないで住宅開発をしたい」と相談を受けた私は、どうやったらうまくできるのかを調べるために、一緒に東急を訪問したのだ。

ところが、東急には一体開発について熟知している人がいなかった。鉄道と住宅を一体で開発していたのは戦前から戦後しばらくまで。以降、鉄道と不動産とで分業制が進み、一体開発をやっていた人たちは引退していた。

分業が進んだのは鉄道会社だけではない。戦前は、集中的な権限を持つ内務省が地方行政を通じ、各省の所管事項にも関与しており、沿線開発の調整が容易だった。しかし、内務省の解体により、その機能は複数の省庁に分割され、運輸省や国土交通省、自治省(現総務省)というように、沿線開発の監督官庁が分かれてしまった。縦割りになると調整の手間がかかり、進むものも進まない。日本の私鉄経営モデルはある種の奇跡だが、その背景には権限が集中していた内務省があったことも事実だ。

私鉄は、ビジネスモデルの転換を迫られている

話を東京メトロに戻そう。日本の私鉄は鉄道事業と沿線開発を一体となって進めることで成長してきた。しかし、東京メトロのモデルは違う。不動産事業も展開しているが売り上げは小さく、そもそも不動産自体、簿価753億円(24年3月期)とあまり持っていない。不動産事業の強化を打ち出していても、それに必要なノウハウや資産に乏しい。

そもそも私鉄経営モデルは、鉄道の延伸と開発前の安い土地があって成り立つモデルだ。東京メトロは現在、有楽町線(豊洲—住吉)、南北線(品川—白金高輪)の延伸(両者合計で7.3km)を計画しているが、すでに発展した地域であるため開発余地は小さい。東京メトロが今、私鉄経営モデルで成長するのは無理なのだ。

現在、東京メトロの路線の多くが私鉄と相互乗り入れしている。東京メトロ単独で延伸できなくても、私鉄と一緒に郊外で開発すればいいという考え方もある。しかし、この戦略も期待できない。かつての私鉄経営モデル自体が行き詰まりを見せているからだ。

高度成長期を経てバブルの時代まで、日本のビジネスパーソンは通勤時間が長いことをものともしなかった。実際、片道1時間20分までのエリアなら住宅も売れていた。しかし、タイムパフォーマンスを重視する若い世代は、もはや職場から40分以上かかるところには住まない。部屋が小さくても職住近接の物件に住むのが大きなトレンドだ。

もともと都心から40km圏内の目ぼしい場所は開発が終わっている。今からその先を開発したところで、若者やファミリーはこない。伝統的な私鉄経営モデルも限界を迎えているのだ。

目端の利く東急は、渋谷再開発に象徴されるように都心のオフィス・商業施設の開発に力を入れている。一方、西武は明るい展望が見えない。プリンスホテルのみならず、本社ビルも売却対象に入れて手放すことを検討している。しかし、地方のプリンスホテルは40年前からほとんど姿が変わっておらず、不動産の価値としては高くない。

私鉄がビジネスモデルの転換を迫られているのだから、東京メトロが私鉄と同じことをしてもすぐ行き詰まる。

参考になる先行事例は、JR九州の開き直り

参考になるとしたら、私鉄よりもJR九州だ。旧国鉄は、1987年に6社の旅客鉄道と1社の貨物鉄道に分割民営化された。JR6社のうち、東日本、東海、西日本は通勤網や新幹線というドル箱の路線があって経営に余裕があった。しかし、北海道、四国、九州は赤字経営確実。そこで国は経営安定基金を渡して赤字を補填した。ところが、JR九州は経営安定基金を単なる赤字の穴埋めに使わず、2016年には資本金に組み込んで上場してしまった。

完全民営化後には鉄道事業も黒字化。大人気の高級クルーズトレイン「ななつ星in九州」や、11年から開業した九州新幹線もあるが、成長を大きく牽引したのは鉄道以外の事業だ。

たとえばJR九州は、オリジナルの飲食店や居酒屋などを展開している。立地も、駅ナカ店舗ばかりではなく、郊外の路面店も多い。しかも、居酒屋の「うまや」は、自社の鉄道がない東京にも3店舗出店している。

大阪では旧帝人ビルを買って、タワーマンション「MJR堺筋本町タワー」を開発した。御堂筋沿いの一等地だが、JR九州とは縁もゆかりもない土地である。フランチャイズの路面店といい、大阪のタワマンといい、シナジーがあるかどうかも怪しい。

博多駅の再開発でも九州になじみのなかった阪急阪神百貨店と提携して駅ビルを建て、初年度から黒字化するなど企画力も光った。JR九州には、ニーズがあって利益が出る事業にはすべて挑戦するという、ある種の潔さがあった。本州JR3社に比べれば“持たざる者”であるが故に開き直りができたのだ。

東京メトロも、どちらかといえば持たざる者である。地下鉄であるが故に地上権・空中権を持たない。その自覚を持って新しい事業に挑戦できるか。その覚悟を持つ人材がでないかぎり、東京メトロの企業価値は上がらない。

※この記事は、『プレジデント』誌 2024年12月13日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。